岩村城のおんな城主・お直の方 強く、美しく、はかない人生

 

女城主と聞いてだれを思い浮かべますか? 2017年の大河ドラマから連想すれば井伊直虎となりますかね。
しかし女城主は彼女だけではありません。たとえば織田信長の叔母でありながら、城を守るために武田家の重臣に身をささげ、そして信長に無残にも処刑された女性。岩村城(岐阜県)主のお直です。
戦国の無情に女の人生をもてあそばれた悲劇の女性なのか、それとも運命に立ち向かい自らの道を切り開いた強き女なのか、読者のみなさんの目にはどのように映るでしょう。

信長の年下のおばさん、3度の政略結婚

お直は、愛知県愛西市の勝幡城(信長の生まれた城でもあります)で、織田信長の祖父、信定の末娘として生まれました。生年ははっきりせず、1544年(天文13年)頃とも言われていますが、信定が1538年に死んでいることから、その前後でしょう。

信長の叔母さんになるのですが、甥の信長は1534年生まれなので年上です。

岩村城の女城主3

彼女は、最終的に岐阜県中津川市の岩村城の遠山景任(かげむね)のところへ嫁ぐのですが、その前に2度嫁いでいます。

一度目は、美濃(岐阜県)の斉藤龍興の部下(重臣)で、日比野下野守(ひびのしもつけのかみ)清実と言う 結城(岐阜県安八町)の城主ですが、1561年(永禄4年)の森部の戦いで戦死しています。何歳で嫁いだかはつまびらかではありませんが、つまり、お直は18歳で最初の夫を戦で亡くしています。

そして、二度目は、信長に仕える武将でした。どちらも甥の信長による政略結婚だそうです。

再び岐阜に戻った後、1562年、甲斐の武田に対する前線基地(ただ、当時は織田と武田は同盟関係にありました)ともなる美濃の岩村城へ三度目の政略結婚で嫁いできました。

子供が出来なかったため、後の岩村城 主として信長の五男、五坊丸を養子として迎え入れて養母として育てることになりました。当時五坊丸は6~8才の幼い男の子ですから、きっと実の母のように 可愛がって育てていたのではないかと思います。

岩村城の女城主1

夫を亡くし女城主に

1570年(元亀2年)武田の家臣、秋山信友が信玄の命を受けて、岩村に侵攻、上村合戦となりました。その時の戦いが元で、景任は病死。それまでのように夫が討死した後は、岐阜へ戻ることも出来たのでしょうが、お直の方は城に残る道を選びました。五坊丸の母としての責任感と景任の生前より夫の留守を守る姿 が領民や城兵にも信頼されていたことから、岩村への愛着や城を守りたいという闘志が芽生えていたのではないかと思います。

また 三度の政略結婚という甥の信長に振り回される自分の人生を振り返り、自分の人生を自分で選びたいと切望したのではないかとも思います。

現代の女性ならともかく、戦国時代の女性は男性に道具のように扱われるのが常という世の中で、彼女は自己というものをしっかりと見つめられる、覚悟と勇気のある女性だったのでしょう。

そうしてお直の方は、「女城主」となりました。しばらくは、城主として母としての仕事をこなし、岩村も平和な時が過ぎたようです。

敵の秋山信友との4度目の結婚

しかし、そこは戦国、1573年 再び秋山信友が岩村城侵略を企ててやってきました。

女城主は、領民たちと共に長い籠城を覚悟して、攻防します。

信長の援護を待ちながら三ヶ月の間城に立て籠るのです。その間も使者を信長のもとに送ったり、また敵の情報を得るために乱波を放ったりと城主としての働きは見事だったようです。

しかし、当時の信長は、長島の一向一揆などで道を阻まれ、結局岩村への援軍を出すことはできませんでした。

岩村城の女城主2

そのような状況を知った秋山信友は、和議を申し入れてきたのですが、その内容は受け入れがたいものでした。開城すれば五坊丸や領民、城兵の命を守る、その代わり信友の妻になれというものだったのです。 敵の武将との結婚はすなわち信長への裏切り行為となり、城も取られることになります。

女城主は1人悩んだと思います。

当時は、開城の条件で城主の首を差し出すのが習わしで、実質はお直の方が城主であっても、男子である五坊丸の命を差し出すことになります。

可愛い五坊丸の命、領民や城兵の命を守りたいという 母の愛と女性としてのプライドの狭間で相当悩んだのではないかと思うのです。しかし、自分だけのプライドよりも城主として母として、信友との結婚を受け入れたのです。

もう一つ、実は以前に信友とお直の方は顔を合わせています。信長の子奇妙丸と信玄の子お松の方の婚姻の使者として信友が岩村城を訪れているのです。

当時はまだ景任の妻として迎え入れたわけですが、信友はお直の方の美しさに、お直の方は信友の精悍な姿に実はお互いに一目惚れをしていたのではないかと私は思っています。

女性として過去の三度の結婚の際にはなかった本当の愛を信友に見つけ、信長への裏切りとその結果起こり得ることを乗り越えるほどの強い思いとなって決心したのではないかとも思うのです。

岩村城の女城主4

覚悟を決めた人生

1573年2月に岩村城は開城します。お直は武田方に転じます。

その2年後の1575年5月の長篠の合戦で武田が織田信長に敗北するまでの間、信友と お直の方は共に力を合わせて、岩村を守り、城の普請を進め、織田信長の侵攻に備えていました。

織田軍は長篠の戦いで勝利した後、いよいよ「裏切り者」の岩村城に攻め入り、2人は6ヶ月に及ぶ籠城の末、11月23日開城しました。

武田信玄はすでに亡くなり、息子の勝頼が指揮を取った長篠合戦で名将と言われた武将をことごとく失い、武田の援軍は見込めなくなったことからの覚悟の開城でした。

信友は命を差し出すのは自分1人でと、お直の方を信長の元に戻るよう諭したようですが、お直の方は最後まで信友と運命を共にしたいと懇願したようです。

新説 女城主と秋山信友に六太夫という嫡男が生まれていた!

城を出たお直の方と信友ですが、実は2人の間には「六太夫」という嫡男がいたというのです。
これまでどの資料にも、この件については書かれていませんでした。お直の方が、三度の結婚の間で子どもを生んだという記録はありません。しかし、信友との間には六太夫が生まれ、落城前に毛利方で信長と敵対していた、小早川隆景の元へ落ち延びさせていたというのです。

これは、私自身が2009年、六太夫の子孫「馬場静枝」さんが、執筆された『馬場六太夫―口伝が明かす波乱の生涯』(文芸社)を読み、馬場さんご本人に会い、確認したことです。

岩村城の女城主6

馬場さんによると、六太夫は1575年、村上水軍の力を借りて伊豆を経由して船で安芸の竹原へ向い、元服まで小早川隆景の元で育ち、秀吉の下で朝鮮出兵し、最後は1600年関ヶ原の合戦で、28歳で命を落としているそうです。

岩村を旅立ったのは、1歳半くらいであろうと言われています。当時、伊那地方は徳川に寝返っていたため、遠回りで伊那谷から天竜川沿いに高遠に抜け、甲斐国に入り、駿河国から伊豆に入ったのではないかと馬場さんは著書の中で推測されています。

そして、安芸の竹原までは村上水軍の秋山良久の手配した船で向かったのではないかとのことです。

馬場家では、先祖のために多くの犠牲者を出したことに対し、今も11月を忌み月として祈りを捧げているそうです。

六太夫の墓は、竹原の鎮海山にあります。

私も一度ここを訪ねましたが、村上元吉と並んで山の斜面で海を眺める良き場所に眠っていらっしゃいました。

岩村城の女城主7

 

この時、村上水軍博物館の学芸員さんを訪ね、六太夫にまつわる資料がないか探したのですが、まだ見つかっていません。 馬場さんによると馬場六太夫という名は伏せ、曽根兵庫という名前の人物になって過ごしていたのではないかということでした。

馬場さんのお宅には、30センチほどの観音様があります。お直の方が六太夫に持たせ、落延びさせたのではないかと言われています。私も拝ませて頂きましたが、実に優しい母のような笑みを浮かべた美しい観音様でした。

岩村城の女城主8

女城主の息子の物語を映画化

馬場さんは、現在東京にいらっしゃいます。80才を過ぎても矍鑠とした大変知的な女性です。

私は馬場さんに初めてお会いした時から、馬場さんや馬場家の岩村への想いや女城主の想いに心を揺さぶられました。

「みつけもの」という映画を自主制作し、岩村をはじめ各地の人々に女城主のことを知ってもらい、六太夫についての情報を探しています。観音像を岩村にお祀りしたいという馬場さんの願い、命を賭けて五坊丸や六太夫、そして領民を守ったお直の方の生き様を現代に伝えたいというのが、私の切なる願いです。

岩村城の女城主9

冒頭の問いについて、みなさんはどうお考えですか。

私は、景任が亡くなった際に、もう二度と信長の元には戻らないと決意し、信友との結婚を決めた際にすでにその覚悟は出来ていたのではないかと思います。私はここまでのお直の方の人生を辿るに連れ、お直の方の強さや覚悟に心から感動しました。 戦国時代という厳しい時代に溢れるばかりの愛情と心の強さを持って生き抜いた女性、そして自分の選んだ道に覚悟と責任を持って立ち向かった女性、現代に生きる女性としても尊敬の念を持たずにいられません。

文・石丸みどり
映画による地域デザインをテーマに、地域の物語を映画化し地域活性化を提案するコミュニケーション・デザイナー。
岐阜県恵那市岩村町の「みつけもの」他、愛知県高浜市の「タカハマ物語」、愛知県長久手市の「未来(100年後)へのとびら」、愛知県西尾市の「オシニ」の脚本、監督を務める。愛知淑徳大学常勤講師。
「みつけもの」は、2011年「地方の時代」映像祭で市民/学生部門 奨励賞を受賞。
脚本とディレクションに着手する際に、徹底したリサーチを行うことから、地域独自のストーリーを生み出す。岩村ではこのリサーチによって、女城主の子孫を発見した。


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コメント

    • Harada Hideaki
    • 2015年 3月 08日

    上記の誤りは、3度目の政略結婚の項での記載です。

    • Harada Hideaki
    • 2015年 3月 08日

    岩村城が中津川市と記載されていますが
    正しくは
    恵那市岩村町
    です。

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