ほとんど勘違いで暗殺されてしまった大久保利通(正助・一蔵) その生涯とは

【人物概略】大久保利通とは?

1830年(文政13年)に薩摩(鹿児島県)で生まれる。
父は下級藩士の大久保利世で、利通は長男。幼名は正袈裟(しょうけさ)で、元服後は正助(しょうすけ)と名乗り、後に島津久光から一蔵(いちぞう)の名を賜っている。
幼少期に過ごした下加治屋町には西郷隆盛や西郷従道がおり、後に明治維新へ向かっての原動力になったのは歴史ファンにはお馴染みかもしれない。
幕末の薩摩を揺るがしたお由羅騒動では父に連座して謹慎処分とされるが、島津斉彬が藩主になると罰を解かれ、以降、藩内の有力者と囲碁の相手などをして出世街道を昇るキッカケを掴む。

1862年に岩倉具視らと公武合体路線を目指し、徳川慶喜(当時は一橋)などにも接近。京都で1865年に利通(としみち)と名を改め、四侯会議も実現させるが、ここで慶喜とは敵対関係となり倒幕の意を固めることに。
大政奉還で江戸幕府が倒れ、明治維新を迎えると、版籍奉還や廃藩置県などの政策を推し進めた。
岩倉使節団の一員として諸外国の技術を見聞し、帰国後は内務卿に就任すると、冷静かつ精緻な政治力は西郷隆盛の鷹揚なキャラクターと対比され、征韓論を巡って分裂は決定的となる。そして西南戦争へ……。
1878目、紀尾井坂の変で殺害された。享年49。

薩摩きっての政治家・西郷隆盛とも友達で……

今の平和な日本からは考えもつかないですが、戦前は首相が殺されるなどの物騒な事件が結構な割合で発生しておりました。
暗記しづらい!として受験生を苦しめる二・二六事件五・一五事件などはその最たるものでしょう。
もちろんそれ以前にも同様の事件は起きており、今日あまり注目されずとも影響力の極めて大きかったのが、明治時代における紀尾井坂の変です。

ときは明治十一年(1878年)5月14日、大久保利通が暗殺されました。このときの地名をとって「紀尾井坂の変」と言われます。

西郷隆盛・木戸孝允と並んで「維新三傑」と称される大久保利通が殺されるという大事件な割に、教科書では一瞬だけ出てきていつの間にか終了という感じですが、彼の生涯は豊臣秀吉ばりに自らの知恵でのし上がっていった稀有なものでした。

一体いかなる人生だったのか? 順を追って見て参りましょう。


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大久保は代々薩摩藩士の家に生まれましたが、身分はさほど高くありませんでした。
元々体が強いほうではなかったので、武道よりも学問に力を入れており、討論が得意になっていったそうです。文政十三年(1830年)生まれですから当時は国会議員なんて概念はなかったと思われますけども、結果的にはこれが後々役立ったのでしょうね。

藩への出仕後もこの特技を生かして活躍するはずでしたが、お父さんが薩摩藩の後継者問題でポカをやってしまったため、一時期親子揃ってクビになるという苦難に見舞われます。
大久保家には他に男手がおらず、当然家計は火の車となり、貧しい生活を強いられました。
篤姫の義理のお父さん・島津斉彬が藩主になってから「またウチで仕事をするように」と言ってくれたので、三年ほどで復帰できたのは運が良かったといえましょう。

 

囲碁仲間を籠絡して藩主に近づく

その後は自らの機転を生かし、藩の中で少しずつ出世していきます。
例えば、斉彬の次の藩主茂久に近付くため、その父である久光(当時は忠教)の囲碁仲間であったお坊さんを介して手紙を渡したりしています。いわば外堀から埋めていったような感じですね。
この手紙というのがただの手紙ではありません。お坊さんから「久光様が「こんな本読みたいなあ」と仰ってましたよ」という話を聞きつけて、大久保はまずその本を手に入れます。
こう書くと簡単ですが、当時は本の流通が今ほど盛んではないですから、かなり駆けずり回ったようです。この時点で根性パネェ。

若かりし頃の大久保利通さん・ちと……というか相当怖い……/wikipediaより引用

そして「もしよろしければお貸ししましょう」ということで、お坊さんを介して本を久光に渡しました。受け取った久光がwktkしながら本を開いてみると、そこには何やらしおり代わりと思しき紙が入っています。
久光が「抜き忘れたのか?そそっかしい持ち主だな」と思ったかどうかはさだかではありませんが、よーく見てみるとその紙には人名らしきものや、政治信条のような主義主張がびっしり書かれていました。
文字が書いてあると反射的に読んでしまうのは読書好きの宿命ともいえる癖ですが、久光もついついこの紙にしっかり目を通してしまいます。そして「なかなかしっかりした考えじゃないか。よしこの名前メモっとこ」(超訳)という印象を持ち、まずは大久保とその仲間達の名前を覚えてくれたのでした。
もちろんただの偶然ではなく、身分の低い大久保がまず新しい藩主に自分の存在と思想を知ってもらうために絞った知恵でした。
後々久光からは名前(通称)ももらっていますので、覚えめでたかったようです。
一度名前を覚えてもらえれば、政治の中枢に関わることはさほど難しくはありません。順調に出世していった大久保は、やがて京都で岩倉具視などの公家とも知り合います。
そして第二次長州征伐の頃には、藩の去就に口を出せるほどの位置にいました。
久光に本を貸してから10年ほどのことですから、大久保の出世スピードの早さが窺えます。
「主に強烈なインパクトを与えて出世の糸口を掴んだ」という点では、秀吉の「ぞうりを懐で温めました」という話とよく似ていますね。

 

薩摩なのに荒っぽいことが苦手なナイスパパ 廃藩置県など大きな成果

元々荒っぽいことは苦手な大久保ですから、倒幕に関することでは真っ先に陣頭に立つというよりは、節目節目で自分の意思を主張するというスタンスでした。
明治維新においては廃藩置県などの大きな改革を担当し、ついに日本全体の政治中枢で活躍することになります。
明治時代に入ってからはその他にも多忙を極め、岩倉使節団の一員としてヨーロッパ諸国へ行ったり、西南戦争など内乱の鎮圧を指揮したりと、自宅で夕食を食べることも難しいほどの忙しさだったといいます。
それでも家庭を大事にしており、出勤前には娘さんを抱っこしてから出かけたり、毎週土曜日は家族揃って夕食を摂るなど、微笑ましいエピソードが伝わっています。
現代のお忙しいお父さんお母さんも真似してみるといいかもしれません。少なくとも子供に「また来てね」と言われてしまうことはなくなるのではないでしょうか。

貫禄がつき始めた頃の大久保さん(サンフランシスコで撮影)/wikipediaより引用

 

西郷隆盛が死んだのはアイツのせい!

このように公私両立を図りながら、日本を強い国にするべく頑張っていた大久保でしたが、いつの時代も話のかみ合わない人はいるものです。
いや、「1つの欠点が100にも1000にも見える人」というべきでしょうか。今でもいますよねこういうの。
「大久保とかいうヤツは政治を牛耳って好きなようにしている!その証拠に、アイツは同じ釜の飯を食っていた西郷隆盛を殺したじゃないか!天誅!!」という実に短絡的な理由で、大久保は殺されてしまったのでした。

どこかから「大久保は生来病弱だ」とでも聞きつけて「なら意表をつけば簡単にブッコロせる」と思ったのかもしれません。
実行犯達が犯行後に出した文書に、大久保含めた明治政府の要人をことごとくけなしている部分があるのですが、体格の良かった大隈重信でもなく、幕末の頃には暗殺をやってのけたこともある伊藤博文でもなく、大久保を狙ったというのが実に卑怯です。
遺体はここで書くにはあまりにも惨い状況だったそうなので詳細は割愛しますが、抵抗もできない人間をこんなくだらない理由でそれほどの目に遭わせて、一体国のどこがどう良くなると思ったんでしょうね。

一応実行犯の文書には「大久保の罪」としていくつか挙げられているのですけども、どれもこれも「国の制度をまるっと変えるのに時間がかかることがわからんのかい」と言いたくなるようなものばかりです。
大久保自身、暗殺直前に「明治維新は三十年でやり遂げるつもりでいないとダメだ。最初の十年は創業にあたり、次の十年は国内を整えることに集中する。ここまでを自分の仕事として、最後の十年は後進たちに任せたいと思う」(意訳)と言っていたのですから、やっている本人としてもそうそうすぐにやりきれるものではないと思っていたのです。

 

自分が借金して国作りにあてる 死後に債権者とりにこず

特に「国の金を無駄遣いしているけしからん」という項目については全くの的外れでした。大久保は公共事業の費用不足を補うため、私財を投じた上借金までしていたからです。
大久保が亡くなったときには当時のお金で8000円になっていたそうですから、今の貨幣価値にして1億円をはるかに超える借金でした。個人的な遊興のためでなく、国のためにこれほどの借金をいとわなかった人に対してこの言い分はあまりにも失礼というものです。

ちなみに大久保が何のためにお金を借りていたのか債権者は知っていたらしく、死後「貸した金返せよ!」と言って来る人はいなかったとか。
当時は今のように有名人の言動についてニュースが流れるということがないので、大久保の実像がわからなかったにしても、あまりにもターゲットの絞込みがお粗末すぎます。
そんなに正義漢ぶって暗殺なんぞするくらいなら、内務省に乗り込んで「今からオレが最高最短のやり方で日本を良くしてやる!皆黙ってついて来い!!」とでも言ったほうがまだマシでした。誰もついていかないどころか役所の中に入ることもできなかったでしょうけど。

大久保や西郷隆盛、伊藤博文など、明治維新で大きな役割を果たした人物がことごとく非業の死を遂げているというのは何とも皮肉なものです。
まるで神様が使い捨てたかのように感じるのは、ワタクシだけでしょうかね。

長月 七紀・記

【TOP画像】大久保利通/国立国会図書館蔵
参考:大久保利通/wikipedia 紀尾井坂の変/wikipedia

 


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コメント

    • 匿名
    • 2016年 10月 23日

    襲撃犯たちは大久保卿の政策「廃藩置県」で俸禄「土地と給与」を失った・・・
    突然橋の下で寝る羽目になった襲撃犯たち・・・
    銀座近くの豪邸で悠々自適と暮す大久保卿を許せなかったのでしょう・・・
    犯人たちの残した「斬奸状」に記されている・・・
    武力倒幕に反対する坂本龍馬の暗殺の黒幕ではなかろうか?とさえ言われている・・・
    龍馬暗殺の僅か一ヶ月足らずで「鳥羽伏見の戦」・・・
    江藤新平を死に追いやった「佐賀の乱」・・・
    西郷隆盛を死に追いやった「西南戦争」・・・
    邪魔者は排斥するという卑劣なイメージなので
    地元は当然!東京でも人気がない・・・

    • 匿名
    • 2016年 10月 07日

    勘違いしているのはこの人の方ではないか?
    実際、維新の初期の諸改革は条約改正のための外遊組(大久保は外遊組)ではなく留守政府の方の成果だ。
    大久保ら外遊組は帰国後焦ったのだろうな。このままでは留守政府組に政府の実権を握られるとね。
    だから、征韓論という難癖をつけて留守政府組を政府中枢から追い出した。そして、留守政府組を追い出してすぐ韓国を砲艦外交で開国させている。このことからも、やっていることに一貫性がない。大久保利通は有能な政治家であることは認めるが、殺されるのはそれなりの理由があったのだよ。

    • るろうに剣心
    • 2015年 11月 28日

    今、るろうに剣心を読んでいて、大久保利通暗殺の場面で、本当にあったことなのか気になり調べてました。実際に清水谷公園にも行き、石碑もみてきました。
    本当に国に命を捧げたというか、このような維新三傑の人達がいなかったら、今の日本はこれほど平和にはなっていないと思います。もっともっと教科書や本で大久保利通を取り上げて、功績を讃えて欲しいです。

    • 匿名
    • 2015年 8月 25日

    大久保は確執が有ったといわれている江藤新平に対しては冷血でした。江藤が捕まった時、その捌きをかつての部下であり、江藤に恩のある河野敏鎌にさせた。江藤を晒し首にする為にわざわざ位を剥奪、さらに愚弄した手紙をしたためている。
    一説では坂本竜馬暗殺の黒幕ではとの話も有ります。
    大久保暗殺実行グループは西郷派との関わりが有ったみたいなので、西南戦争を指揮した大久保を恨んだのでしょう。
    強い信念と理想を追い求め、好きな者には情を見せるが、嫌いな者にはとことん非常になる人だったとみています。

    • 匿名
    • 2015年 8月 23日

    貸主が借金を取り立てに来て、鹿児島の親類の家屋敷まで全部持っていったと祖母から聞きましたよ。因みにその血を引く者で祖母はよく「おばあちゃんが、おばあちゃんから聞いた話」と言って、「大久保卿は・・・」とよく聞かされました。

    • 匿名
    • 2015年 7月 13日

    サラエボ事件と全く同じじゃないか…これ描いた人はサラエボ事件を勉強したのかね。

    • 匿名
    • 2015年 6月 15日

    麻生太郎の祖父吉田茂の祖父だから麻生太郎の高祖父(?)

    • 素浪人
    • 2015年 6月 08日

    いろんな幕末に関わる書などを読んで、当時の身分制度『武士、農・工職人・商人』は別にしてかなり、能吏な方のように思われます。このサイト文面にありますように、わずか10%『藩によって違うが薩摩藩はまだ、多いように専門書で読んだ記憶があります』の武士【明治4年以降の士族・卒族】とは言いながら、武家の中でも厳密に仕事身分・格式があり彼はそれほど高い格式ある武家出身者ではありませんが、頭が良かった。それ故に今風に言えば、ゴマ【いろんな手立てを駆使】を擦って力ある権力者に近づき、人脈つくりに励ます。元来、頭の良い人でオリジナリティな企画案が世が変わり、その力に花が咲いた感を覚えます。今の行政総合職合格者『高級官僚』と違い、知識、行動力、度胸【死→退職】が揃った人と思います。因みに90%の庶民もまた、格式がありました。【地主↔小作、網元↔雇漁師、店持ち旦那↔雇小僧 職人親方↔職人見習い など】また、市・村行政役割として町・村庄屋初め畦頭、百姓代【地方によって肝入りなど違う】など教科書で習った村方三役を設け、行政の末端を担っており、現在も市長、助役、収入役  知事、助役、出納約など名残が残っていますね。行政変遷に関心ある学生諸君は、各村史、東大編纂室刊行書などにより勉強するのも面白いと思います。私は、戸長と言う言葉に家の戸長【村政でもあり副戸長もありました。庄屋からの過渡期】と勘違いしたのが始まりでした。

    • 通りすがり
    • 2015年 5月 30日

    大河で大久保を及川ミッチーが演じた時、ごついイメージの薩摩の男にはどうかなという声もありました。
    ですが、大久保の実像を知った上で見ると、意外とはまってたんですよね。
    力ずくより知恵で生き抜く、家族思いの苦労人。
    身体も腕っ節も強くはないが、国の為に自ら大借金を背負ってのけるほど強く優しき精神の持ち主。
    もっと教科書で取り上げられてもいい人物です。

    西郷の件にしても、男と男がそれぞれの信念に従って国を思い、結果的に道をたがえたというだけのこと。
    盟友を裏切ったとは言うけれども、国の為とはいえ盟友を殺す決断を下さねばならない者の苦しみがわかるのかと。
    西郷の情に甘えて殺してしまった西郷シンパの生き残りが、その負い目を大久保になすりつけたようにしか見えません。
    そうして大久保を恨み無惨に殺した結果、長州に見事してやられて、八つ当たりが加速。今に至っているのではないでしょうか。
    歴史的に見れば、不平士族をひとまとめに連れて行く役目が西郷、冥界に送り門を閉める役目が大久保。
    本人たちの心中は知る由もありませんが、歴史に与えられた役割から見ると、『泣いた赤鬼』のような関係にも思えます。

    大久保利通。彼もまた西郷と同じく、『薩摩隼人』の名に相応しき剛毅な男ではないでしょうか。

    • 匿名
    • 2015年 4月 10日

    大久保を嫌っていたのは主に幕末まで特権階級だった士族たちでしょう
    名前だけの地位に落とされてしまったから。俺達にも美味しい思い(俸禄)を(働かないけど)させろ
    って言いたかったに違いありません(笑)
    そんな薩摩隼人たちも小心者で猜疑心の強くて執念深い(?)長州閥の輩共に中枢から一掃されてしまいますね

    • 匿名
    • 2014年 9月 09日

    私もそんなに詳しい訳じゃないけど、立派な人だと思います。なんで嫌われてるんですかね~?故郷の薩摩にはお墓もないとか。盟友だった西郷さんを殺すことになったから?でも絶対殺したくなかったはずですよ。いくらかつての盟友が相手とはいえ、士族たちの反乱を薩摩だけ見逃す訳にはいかないじゃないですか。だから心を鬼にして、非情な命令をくだしただけ。大久保さんを非難する人はなんでその辺が分かんないのかな~って思います。死に際、勝手な奴らに襲われたときも、西郷さんの手紙読んでたって言いますよね?常に持ち歩いてたんですよ。本当に日本のこと思ってたのに。今の政治家のやつらにこんな人一人もいないと思います。家族思いで信念のあるとても立派な方だと思います。

    • 匿名
    • 2014年 5月 13日

    エー(゜ロ゜)
    これ読むまで大久保利通って悪だと思ってました
    読んでよかった

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