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戦国絵師・長谷川等伯 雪舟の五代目を名乗り、したたかに出世した絵描き人生とは?

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コンテンツ業界ではよく言われますが、画像のインパクトというのは絶大です。
そもそも文字より先に絵が生まれたわけですし、赤ちゃんだって言葉がわからない状態でも何かしら落書きしたりしますしね。それだけ人間の本能的な部分が感じ取れるということなのでしょう。

それに関連しているのかないのかははっきりしませんが、「何となく気に入った絵の作者を調べてみたら、全部同じ人が描いてた」なんてこともままありますよね。絵画に限らず、マンガやアニメでも同じ経験をした方がいらっしゃるのではないでしょうか。

そこで今回は、教科書でもよく見る絵を数多く残した画家のお話。慶長十五年(1610年)2月24日、長谷川等伯(とうはく)が亡くなりました。

松林図屏風右隻/wikipediaより引用

松林図屏風右隻/wikipediaより引用

 

稲葉一鉄に千利休、そして信玄もとい畠山氏も・・・ 

長谷川等伯とは、「松林図屏風」や稲葉一鉄・千利休などの肖像画で有名な人です。他に仏画なども多く描いていますが、やはりインパクトが強いのは武田信玄像でしょうか。あれは最近「違う人じゃね?」ともいわれていますけども。

その「違う人」というのは能登(現・石川県)の畠山の誰かではないかとされているのですが、等伯はその能登国は七尾に生まれました。長連龍が徹底的なリベンジをすることになった原因である「七尾城の戦い」でも有名なあたりですね(詳しくは過去記事:史上最恐の「倍返し」能登の武将・長連龍の徹底的な復讐【その日、歴史が動いた】)。

実は能登・畠山某氏と言われる武田信玄像

実は能登・畠山某氏と言われる武田信玄像

等伯は七尾城の戦いの頃には上京していたので、戦に巻き込まれずにすみました。おそらく現代の高校生くらいの歳から絵を描き始め、その実力でもって生活していこうと考えたようです。
養子に入った先が染物屋さんだったこと、当時の畠山家が七尾を「小京都」と言われるほどに発展させていたこと、比較的京都とも近いということで良い絵の具や資料、先生に恵まれたのでしょうね。

 

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絵画は会議室で描いてるんじゃない! 現場で描いてんだ!

しかし、いきなりバカ売れ(死語)したわけではなく、当初は実家のツテをたどってお寺の厄介になりながら、細々と絵を描いては売り、売っては描いてという状況でした。
千利休などから中国文化について知り、画法にも取り入れて独自の画風を作り上げていきます。

絵というとお師匠様について習うもの、というイメージがある方も多いかと思うのですが、等伯は自分で試行錯誤しながら世界を広げていったんですね。前者がエリートキャリアなら、等伯は現場叩き上げといったところでしょうか。何だかどこかの空き地署を思い出す話ですね。

そして自分の画風が確立すると、今度は広報活動で仕事をゲットしていきます。
大胆にも「俺は雪舟の五代目の弟子だ!!」と名乗り上げ、それを聞いたお寺から数々の絵画を依頼されました。有名人に頼みたがるとか世俗の欲が垣間見えるどころかモロ見えですが、雪舟の評価が上がり始めた頃だったので仕方がない……ですかね。

元々等伯は熱心な日蓮宗徒でしたので、お寺に絵を描けてお金も入るとなれば万々歳だったでしょう。あれ? こっちからも雑念のニオイが。
しかし僧侶としての位をもらったりもしているため、仏教界では特に問題ないとされていたようです。お釈迦様からすれば「どいつもこいつも(´・ω・`)」って感じだったかもしれませんねえ。

こちらの千利休も長谷川等伯の作品/wikipediaより引用

こちらの千利休も長谷川等伯の作品/wikipediaより引用

 

同時代の肖像画を描いているのは珍しい? 

さて、等伯といえば上述の通り、同時代の人物の肖像画を多く描いたことでも有名です。
日本で肖像画というと、ずっと後の時代の人が「こんな感じかな」とイメージして描くことが多いので、同時代の画家が描いているのは結構珍しい気がします。

博物館などでも、戦国武将の肖像画の解説をよく見てみると「江戸時代に描かれたものです」なんて描いてあったりします。「何で見てもいないのに肖像画が描けるんだよ?」とツッコんだことのある方も多いかと思いますが、そこは今でいうマンガやゲームのキャラクターデザインみたいなもので、逸話から人物像を想像したのでしょう。

多分既にどなたか研究されているのではないかと思いますが、ヨーロッパと日本で肖像画に対する認識が大きく違う感じがしますね。
ヨーロッパだと権力の象徴だったりイメージ作りのために自分を描かせる権力者が多いですが、日本では自分の絵よりも風景画などを描かせることが多いような……気のせいですかね。

稲葉一鉄も等伯作/wikipediaより引用

稲葉一鉄も等伯作/wikipediaより引用

 

没後400年を記念して登場した、ゆるキャラ・とうはくん! 

今でも外交の場でお偉いさん方が握手しているところやハグしている写真新聞に載ったりしますが、あれも似たようなものでしょう。某世界最強の大統領と北の前将軍様のおそろしあ式挨拶はどうだったかわかりませんけども。

もっとも、風景画で茶室や客間など、応接の際使う部屋を飾る=「ウチはこんなすごいものを用意できる力があるんだぞ!」と言っているも同然ですから、アピールの仕方が違うだけかもしれませんけどね。
等伯は画家の中では足跡がたどりやすく、近年になってからも新しい絵が見つかったりして話題に事欠かないため、芸術家の割に結構主役級の扱いを受けていることも多いようです。

地元・七尾でも2010年の没後400年を記念して「とうはくん」というゆるキャラが作られています。画像を見ていただければおわかりいただけると思うのですが、すごく……ゆるいです……。

 

このキャラクターが「俺は雪舟の(ry」とか言ったらそれはそれで面白そうですねHAHAHA!

多分やろうと思えば等伯で大河か長編ドラマ作れると思うんですけど、話が出てたりしないんですかねー?
「戦のシーンはイヤ、家族で見られるドラマがいい」というなら、画家はもってこいの素材だと思いますけども。

 

長月 七紀・記

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参考&画像:長谷川等伯/wikipedia 七尾市観光協会ななOh!ネット

 

 

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