今回は締め切りで死亡寸前の破天荒一休氏に代わり、同氏がIXAブログの中で触れていた『猫侍』の真相に迫ります。
猫侍とは他でもありません。Twitterで13,000以上のリツイートと大きく話題になった、ある一枚の絵のことで、TOP画像にも掲載されている下記の絵画のことです。
これが本当の猫侍… 猫を連れて出陣 ええ、もう猫が可愛くて攻撃なんて、出来やしません。 ていうかこの猫耳兜萌えますね。 日本の萌え文化は戦国時代まで遡るとは… pic.twitter.com/QitJatExRj
— Leo八 (@mare_zero) 2015, 6月 9
侍が猫を連れて歩くってマジか!?
いや、それはまだあるかもしれんけど、絵画にするって? おまけにお侍さんの兜は猫耳で一体これは何なのですか――。
と、絵画の出自を探る依頼は初のことで不安もありましたが、当探偵事務所が総力をあげて調査をした結果、猫侍の正体が判明いたしました。
早速ご報告させていただきます。
『昌山記談集』の中にある摂津の国人・江古田兵庫
まずこの絵画には箱がついており、その箱書には「全道公 画像一幅」と書いてある模様。ただし、絵画の方には書いてありません。箱と中身が違ったら、もうそこはしょうがないと割り切って、猫侍の名前は「全道」さんと考えられます。
「全道」という人物の来歴は不明ですが、鎧兜が『昌山記談集』の中にある「江古田兵庫、二つの山の連なりたる兜の耳の如く作りたる」等との記述と一致すことから、全道は摂津の国人、江古田兵庫ではないかという説が有力です。猫好きで有名だったようですし。
…さて、ここまで読んで『へえ、そうなんだぁ』と感心したアナタ。マイナンバー詐欺に注意して下さい。これ全部、ウソです。と言ったらチョット語弊があるかな。
正確に申しますと、この絵の作者である『野口哲也』氏が、絵の背景として創作した話なのです。
若手アーティスト名にして甲冑のプロフェッショナル
野口哲也氏は1980年生まれの若手アーティストです。
猫侍の他にも『シャネル侍』や『ヘッドフォーン侍』など、現代のカルチャーとサムライをremixした作品を多数発表。
さらに同氏は、美術館が所蔵する“甲冑”の補作や解説執筆などもされており、その考証レベルは研究者も舌を巻くほどとのことです。まぁ、百聞は一見にしかずで彼の作品を御覧になれば分かると思います。
これについては『ギャラリー玉英ブログ 銀座・東京』というサイトの記事に詳しく掲載されておりまして。このブログ主さんも、野口氏の猫侍がSNSで拡散している様子を見て、執筆されたご様子です。
猫侍にしても全くの出鱈目ではなく、猫が武将と一緒に描かれていた室町時代の肖像画の存在があり、そこに馬用の甲冑が多用されていたこと、様々な細工兜があったことをバックグラウンドに『猫を愛した1人の人間』を仮定して作品を作ったそうです。
さらに補足になりますが、絵にある『猫耳兜』に近い変わり兜は、現存しておりまして。
野口氏もきっとご存知だったでしょう。
この鎧は徳川家康に仕えた松平信一が使用していたものです。三河国一揆でも主君を裏切らず鎮圧に貢献した猛者との言い伝えであり、それがこんなカワユス兜だったなんて意外ですね。戦場で笑いを誘っちゃったりしなかったのでしょうか。
と思いきや、この兜、猫ではなくミミズクを模したものらしいです。ミミズクは猛禽で強いですからねぇ。
さて、残念ながら猫に甲冑を着せ猫耳兜で闊歩するサムライは現代アートでありましたが、謎が解けてスッキリしたのでは?
歴史の謎は町探偵事務所にお任せですよっ!
文・町マリブ(フリーライター)
【参考】松平信一/Wikipediaより引用 ギャラリー玉英ブログ 銀座・東京より引用 上田市デジタルアーカイブポータルサイトより引用