明治二年(1869年)6月29日は、東京・九段坂上に幕末以来の戦死者を祀る招魂社が造営された日です。
現在の靖国神社となります。
毎年いろいろな意味で話題になる施設ですが、その始まりや経過については、あまり大きく取り上げられませんよね。
一応、毎年ニュースや記事で少しは出てきますが、いかんせん右とか左の話題のほうが圧倒的に多く……その辺の話はちょっと置いて、今回は成り立ち+αを見ていきましょう。
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戊辰戦争後の戦死者たちが祀られている
招魂社が作られたのは、上記の通り明治の最初期。
日付からしても、戊辰戦争の最終局面である箱館戦争が終わった直後です。
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戊辰戦争の話題では旧幕府軍側の被害がよく知られていますが、もちろん明治政府側の戦死者も多くいました。
明治政府としては、新たな国の礎になった人々を手厚く葬らないと、格好がつかないわけです。
会津などで旧幕府軍側の死者の埋葬をしばらく許さなかったのも、格差をつけるためという面があったでしょうしね。
実際の遺体は家族や軍に任せるにしても、政府として何か特別扱いをしなければなりません。
そこで、新しく皇居となった、かつての江戸城のすぐ北に、戦死者を祀る社(やしろ)を作ったわけです。
ですので、現在の靖国神社にも遺骨や棺はありません。
境内の別の場所に遺品などはありますが、それはまた後ほど。
祀られている対象者は、主に「戊辰戦争~第二次世界大戦、そして戦後、東南アジアなどの独立戦争に参加した人々」です。
軍人の戦死者・戦病死者が一番多いのですが、準軍属とみなされる人々も多数祀られています。
例えば、戦時徴用されて軍需工場で働いているときに空襲を受けた女性たちや、満州開拓に携わった人々、沖縄戦に巻き込まれた一般人などです。
当コーナーで挙げたものですと、真岡郵便電信局事件で自決した女性たちも含まれています。
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職業、性別、年齢に関わらず全てが等しく「命」です
当初、祭神は「忠霊」「忠魂」と称されていました。
現在のように「英霊」と呼ばれるようになったのは、日露戦争の頃からです。
これは藤田東湖の漢詩「文天祥の正気の歌に和す」の「英霊いまだかつて泯(ほろ)びず、とこしえに天地の間にあり」の句から取られています。
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「死んだとしても、その霊はずっとこの世に留まる(そして家族や国民を見守っている)」というところが、故郷から離れた遠い戦地で、死と隣り合わせの状況にある兵を慰めたのでしょうね。
戦争に関連して亡くなった人々を対象としているため、戦後に殉職した自衛官・海上保安官等は対象外となっています。
また、維新に関わった人物でも、後に明治政府にとっての賊軍となった西郷隆盛などは対象外で、戊辰戦争の際、幕府軍に属した人も同様です。
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ある意味、明治~戦中までの価値観が凝縮された場所ともいえますね。
一方で、靖国神社では身分や職業、年齢・性別にかかわらず、全ての祭祀対象者に「神」を意味する「命(みこと)」をつけて呼ぶという平等さもあります。
海軍のトップだった山本五十六も、一兵士も全て「◯◯命」です。
境内各所の説明書きなども同様です。
拝殿で手を合わせるかどうかは個々人の自由なので、そのあたりをどうこう言うつもりはありませんが、歴史サイトとしては境内にある「遊就館(ゆうしゅうかん)」への訪問をオススメいたします。
遊就館とは、一言でいえば、日本史の教科書をぎゅっと詰め込んだような場所。
靖国神社の祭神となった人々の時代はもちろん、古代から近代までの日本の歴史を「武」や「軍」の面から捉えた展示が多くあります。
そのため、日本刀や戦国時代の変わり兜・当世具足なども所蔵されています。
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