中納言・藤原長良のもとに生まれた藤原基経は、叔父・良房の養子となり、応天門の変を経て跡継ぎのポジションをほぼ固める。
良房は、臣下にして初の摂政となった藤原氏の長。
その次代を務める基経もまた、一族隆盛のためにその身を捧ぐ――と言えば聞こえはよろしいが、要は、藤原氏の超権力確立のために奔走するのであった。
876年、陽成天皇の即位と共に自らが摂政に任ぜられると、880年には太政大臣に就任。
しかし陽成天皇との確執して廃位に追い込むと、今度は即位を望む源融(嵯峨天皇の皇子)をしりぞけ、55才の光孝天皇即位という荒業を繰り出す。
それだけで終わらないのが基経である。
光孝天皇の次。
そこで一度は臣籍降下した源定省を親王に戻し、宇多天皇として即位させる。
ドコまで唸る、基経の豪腕!?
日本史ブギウギ、第46話、スタート!
阿衡
◆宇多天皇は、藤原基経に対し関白就任の詔勅(公的文書)を出しました。
問題は、その詔勅に入っていた【阿衡】という言葉です。
摂政や関白のことを指す言葉として使われたのですが、同時にこの言葉には
「地位はあってもシゴトはないよ」
という意味があるとして、基経は政務をボイコットしてしまうのでした。
なぜ、そんなことを?
狙いは橘広相です。娘が宇多天皇を産んでいて、それこそ藤原氏の体制を盤石にしていた「天皇のおじいちゃん」ポジションにいたのです。
そして、その橘広相が「阿衡」の文字が含まれる詔勅を記しており、たちまち大問題となるのでした。
藤原の圧力
◆基経のストライキに対し、困り果てたのが宇多天皇と橘広相です。
権力争いの合間にも、日夜、政務はあるわけで、ほとほと困り果てるばかり。
そこで宇多天皇は、源融に命じます。果たして「阿衡」という言葉の真相はどうなのか、調べてくれ、と。
一度は皇位を望み、【臣籍降下したから】という理由で、基経に拒絶された源融は、動きません。というか、ヘタすりゃ真正面から基経と敵対するわけで動けなかったのでしょう。
結局、ここで安全な道を選んだ源融は、後に左大臣にまで出世、享年74という当時としてはかなりの長生きとなります。
決着
◆基経の要求はついに通りました。
阿衡の詔勅はなかったことにされ、橘広相は罷免。
要は、宇多天皇が藤原基経に屈した瞬間なのでした。
基経は、さらに橘広相に対して「遠流(島流しなどの追放)」を要求しますが、ここで出てきたのが天才・菅原道真公です。
「やりすぎ、よくない」という道真の言葉に、いったん刀を鞘に収めるのでした。
時平登場
◆藤原基経の跡継ぎ、それは藤原時平。
基経の長男でした。
若さゆえと申しましょうか。
宇多天皇のもとで右大臣に上り詰めた菅原道真に対抗し、そして両者は互いに怨嗟の結末へと進んでしまいます。
※次週へ続く
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)