文覚

文覚/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

伊豆で頼朝に用いられた破戒僧の文覚|実はストーキング殺人事件の被疑者

2025/03/18

建久10年(1199年)3月19日は、文覚が佐渡へ流された日です。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で市川猿之助さんが演じていた、見るからに怪しげな僧侶であり、もしかしたら『三谷幸喜さんのオリキャラ?』と勘違いされたかもしれません。

文覚は実在します。

しかも、かなり事情の酷い殺人事件を犯した後に出家し、その後も独り善がりな行動から流罪に処され、伊豆で頼朝に用いられるようになります。

その後は幕府設立にも関わり、一定の権力も手中に収めながら、再び流されるという浮き沈みの激しい悪僧というか破戒僧というか。

いったい文覚とは何者なのか?

その生涯を振り返ってみましょう。

文覚/wikipediaより引用

 


文覚は武士出身 俗名:遠藤盛遠

文覚は没年から逆算して、生まれは推定、保延5年(1139年)。

『鎌倉殿の13人』に登場していた治承4年(1180年)においては41歳となります。

父は、摂津渡辺党の武士・遠藤茂遠(もちとお)で、文覚の俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)。

幼くして両親を失い、丹波国保津荘下司・春木道善が養育したともされます。

やがて北面武士になった文覚は、当初、上西門院(鳥羽天皇の皇女・統子内親王)に仕えておりました。

上西門院は、源頼朝の生母・由良御前の親族と近しい関係にありました。

そんな彼は、17歳から19歳の頃に出家したとされます。

なぜ武士から僧侶になったのか?

理由は、人妻である袈裟御前に横恋慕し、誤って斬ってしまったためとされます。

一言でまとめると「既婚者にストーキング殺人をして出家」ということです。

ここだけ聞くと『ただの極悪犯罪者では?』とも勘繰りたくなりますが、出家に至る経緯が強烈だったため半ば伝説と化しました。

例えば昭和28年(1953年)公開の映画『地獄門』でこの物語が描かれ、第7回カンヌ国際映画祭最高賞グランプリ、第27回アカデミー賞で名誉賞と衣裳デザイン賞など、多くの賞を勝ち取っています。

なぜ文覚は愛する女性を殺してしまったのか?

 


袈裟御前をストーキングの挙げ句

文覚が袈裟御前を殺してしまった経緯。

『平家物語』に書かれた内容はこうなります。

袈裟御前は上西門院に仕える気品のある美女。

そんな彼女を見た北面武士・遠藤盛遠(文覚)は恋焦がれてしまう。

袈裟は、盛遠の同僚である源渡と結ばれた。

夫婦が仲睦まじくしていると、盛遠はますます彼女に思いを募らせる。袈裟が断っても気にしない。あまりにしつこい!

「私には愛する夫がいます。あなたの思いには応えられません」

そうハッキリ断られると、盛遠はますます思いを悪化させてしまう。

「なんでだよ! もういっそ、あんたのお母さんを殺して、俺も切腹するしかない!」

病的な文覚に対し、ついに袈裟はノイローゼにでもなってしまったのか。こんな提案をしてしまう。

「わかりました。夫を殺したら意に添えます」

言質を取った盛遠は、源渡の邸へ赴き、袈裟御前の指示通りに眠っている者を殺した。

やった!

そして月明かりの下で死に顔を確かめると、なんとそれは袈裟の夫ではなく、袈裟本人の首。

夫を裏切れない袈裟は、自らを犠牲にして幕引きを図ったのだった。

盛遠は袈裟の首を抱え鞍馬山を彷徨い歩き、出家する――。

とまぁ、なんとも身勝手な愚行ですよね。

袈裟御前とは知らず殺しにやってきた出家前の文覚/wikipediaより引用

いったん人物関係を整理しておきましょう。

上西門院:職場の上司

袈裟御前:同じ職場の悪質ストーカーに悩まされる悲劇の女性

源渡:袈裟御前の夫

遠藤盛遠:悪質ストーカー(文覚)

戯曲や映画では肉付けや設定変更がありますが、物語の骨子は変わりません。

既婚者に対して悪質なストーキングを繰り返し、被害者を殺した挙句、出家する――この不愉快な話から何を感じろというのか。

「愛する女性を殺してしまい苦しむ男」を描きたかった部分もあるかもしれませんが、ただただ袈裟御前が不憫でなりません。

 

伊豆に流され 頼朝と接触

ともかくも遠藤盛遠は出家して文覚へ。

罪なき女性を殺してしまい、しおらしく反省はしたのか?

仁安3年(1168年)に文覚は、京都高雄山神護寺へ参詣しました。

空海ゆかりの寺だったのに、当時は衰退が著しかった神護寺。

ここを再興しよう。勧進を進めよう。

思い込みが極端な性格は、出家後も変わらなかったようで……。

承安3年(1173年)、なんと後白河天皇の法住寺御所にまで参上して、神護寺への荘園寄進を強訴するのです。

後白河法皇/Wikipediaより引用

いくらなんでも度を越した行為は罪に問われ、渡辺党棟梁・源頼政(ドラマでは品川徹さん)の知行国であった伊豆国へ流罪となりました。

『鎌倉殿の13人』に登場したときの文覚は、そうして流刑にされた時の姿です。

 


頼朝に挙兵を勧めたとされ

再び人物関係を整理してみましょう。

文覚:流罪となった僧侶でとにかく思い込みが激しい

源頼政:源氏で初めて公卿となった野心家

源頼朝:伊豆にいる源義朝の三男

平家に対して不満が渦巻く伊豆の中に、文覚なんて投げ込んだらどうなるか?

まるで油の中に投げられたマッチのようにも思え、実際『平家物語』では、伊豆配流中の文覚が、頼朝に対し挙兵を勧めたとされます。

吾妻鏡』でも、千葉常胤の子・千葉胤頼と共に、文覚が頼朝に挙兵を勧めたことが記述されています。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikipediaより引用

いったい文覚は、どこまで関与していたのか?

ハッキリとはしないものの、頼朝と関係が深かったことは間違いないでしょう。

日本三大弁財天に数えられる神奈川県藤沢市の江島弁財天は文覚が勧進しています。

江島神社

江島神社(江島弁財天)瑞神門

 

後ろ盾を失ってからは反発を受けて

源頼朝や後白河法皇など。

当代きっての実力者から支援を受けた文覚に対しては誰もがひれ伏する――藤原定家は日記『明月記』でそう記しました。

しかし、その威光は後援者あってのもの。

後ろ盾である後白河法皇と源頼朝の死後、状況は一変します。

後鳥羽上皇や朝廷は、文覚に対して厳しい態度で臨みました。

後鳥羽天皇(後鳥羽上皇)/wikipediaより引用

なぜなら文覚はあまりに強引な性格であり、寄進を迫る手法は多くの人々から反発されていたのです。

正治元年(1199年)には佐渡国へ流され、さらに建仁3年(1203年)には対馬国へ流刑。

そしてこの歳、鎮西で亡くなったと伝えられています。

享年65。

 

強引な性格が歴史を変えた

文覚を調べてみると、どうしても人格に問題があるように思えてなりません。

袈裟御前の伝説がどこまで事実なのか。

国史大辞典でも

「全て事実とは認めがたいが、何らかの恋愛トラブルが出家の動機になった」

と記されており、良からぬ事件があった可能性は高そうです。

さらに、いかに動機が立派であろうと、勧進を強要するため後白河法皇の御所まで押しかけるのもやりすぎでしょう。

当時の記録でも、その粗暴さを嘆くだけでなく、文覚が学問を嫌っていたり、人の悪口を言ったりする様子が記されています。

僧侶というよりもはや猪武者なのです。

ただ……そもそも人妻へのストーキングが厳禁だったら、悲劇は起きず、世に出ることもなかったかもしれませんね。

北条泰時が制定した『御成敗式目』には、不倫禁止、路上女性拉致禁止が盛り込まれました。

北条泰時の母が八重というのは史実的にありなのか

和田合戦の北条泰時(歌川国芳作)/国立国会図書館蔵

人間の意識の変革を見るという意味では、貴重な逸話と言えます。

ドラマの中で文覚を見たら、気分が悪くなるかもしれませんが、それが当時の“悲劇”であったということでしょう。

最後に。

岐阜県中津川市には、なめくじ祭りという奇妙な行事があります。文覚の墓に出没したなめくじを祭るのです。

なぜ、なめくじを?

なんでも出家して罪を償った文覚を慕い、なめくじとなった袈裟御前が墓を這うのだとか。

ストーカー殺人の被害者である美女が、死後なめくじとなって、加害者を許す……って、なかなかシュールな由来ですよね。

大河ゆかりの祭りとして説明するには難しそうですが、祭りの日は屋台や夜店が並び賑わうそうです。

文覚に思いを馳せつつ、めぐってみるのも一興でしょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
佐藤和彦/谷口榮『吾妻鏡事典』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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