まだあどけない少女が小さな弓矢を構え、目の前に現れた巨大なヒグマを射止める――。
『ゴールデンカムイ』のアイヌ少女・アシㇼパが、杉元と衝撃的な出会いを果たした場面。
本書をご覧になられてない方は
『いくらなんでも弓矢でヒグマを倒すなんて無理だってw』
と思われたでしょうか?
実は矢先には毒が塗られていて、実際にアイヌの人々も熊の狩猟をしていました。
和人古来の弓矢とも違う、アイヌの弓矢。
その歴史を振り返ってみましょう。
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和弓は腕力勝負だ
弓矢はオセアニアの一部地域を除き、古くから世界中で使われてきた武器です。
脚力の劣る人類が鋭利な刃物を遠くへ飛ばす仕組みは画期的であり、しばしば神話とも結びつけられてきましたが、地域や文化によって重視するポイントは異なります。
和人にとっての弓は、イコール腕力でした。
弓は強固に補強されていて、殺傷能力を有した矢を飛ばすには腕力が求められる。
いかに強い弓を引くことができるか――いつしかそれは武士の誉れと結びつけられるようになります。
信仰との結びつきもあります。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれた鎌倉時代初期は、弓と神事の関係性もうかがえました。
自分自身の剛弓を自慢するため、坂東武者たちは矢に名前を記すほど。
大規模な巻狩りは、ただの狩猟ではなく、神と通じる行事でもあり、そこで獲物を得られるかどうかにより、将来を占う役目もありました。
※以下は鎌倉時代と弓の関連性を記した記事となります
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当時の武士で弓と言えばこの御方という武士がいます。
源為義の八男であり、頼朝の父・源義朝の弟にあたり、剛弓で知られる為朝は、伊豆大島に流されてから伝説が拡大してほとんど神格化され、武者絵世界でも凄まじい描写となりました。
海から迫る敵船を射抜こうとしたかと思えば、
疱瘡の神をも退かせる。
為朝の甥にあたる源義経には蝦夷地を制圧した伝説が生まれましたが、為朝には琉球制圧伝説があるほど。
さほどに弓矢が尊ばれたせいか、和弓は鉄砲伝来後も「武門の誉れ」として特別視されました。
現代の弓道は小笠原流はじめ礼法という側面もあり、実践的な射法とは異なるとされます。
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アイヌは毒矢を用いる
剛力が求められ、尊いものとして神格化された和弓。
これに対し、アイヌの弓矢にはいかなる特徴があるか?
『ゴールデンカムイ』に登場するアシㇼパはまだ少女ながら使いこなしていたように、アイヌの弓は軽い上に連射もでき、トリッキーな使い方ができます。
映画『もののけ姫』でアシタカが使う弓矢も、蝦夷のものであり和弓とは異なります。
そしてアイヌの弓、最大の特徴は毒矢でしょう。
和人にとって未知の武器であった毒矢は、松前慶広率いるアイヌが用いて、大変な威力であったと記録されています。
たしかに和弓に毒矢が全く使われなかったとは言い切れません。
手軽なところでは矢先に排泄物を塗りつけておくだけで、一定の毒性は得られます。標的の体内に突き刺されば、破傷風菌と混ざって致命的な結果をもたらすこともある。
アイヌの毒矢はもっと効果的で確実です。
彼らはその歴史から独特の調合法などの専門知識を持ち、対処法まで身につけた上で綿密に用いていました。
では、その毒の正体は何だったのか。
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