昭和43年(1968年)10月4日は、旧日本陸軍大将・今村均(ひとし)が亡くなられた日です。
漫画家・水木しげる先生の上官だったので、その話を聞いたことのある方はご存知でしょうか。
写真を見ると、軍人というよりお坊さんや好々爺といった単語のほうが似合いそうな人ですが、これはやはり人格が表に出てきているからなのでしょう。
そしてそれは恐らく、自身も苦労や病気に悩みながら成長したからだと思われます。
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実家は仙台藩の名家で明治維新を機に衰退
今村の家は仙台藩の名家でした。
が、祖父が明治維新の際、新政府側寄りの行動をとったことで、村八分のような扱いを受けるようになってしまいました。
今村の父も名家とは思えないような困窮ぶりの中で育ち、働きながら弟や妹を育て、やがて裁判官となって結婚、多くの子宝に恵まれています。
若い頃からの無理がたたってか。父は今村が高等学校(今でいう大学)に進むかどうかといったときに亡くなってしまいました。
このままでは父と同じく困窮することになるだろう――そう考えた今村の母は、息子に「陸軍の士官学校に入ったらいい」と勧めました。
高等学校は自宅から通うものですが、士官学校であれば寮に入るため、食うには困らないという点が大きかったのでしょう。
しかし軍隊というものが具体的にイメージできなかった今村は、
『まずはどんなものなのか知りたい』
と考え、明治天皇が参加する閲兵式を見に東京へやってきました。
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おねしょに悩み「小刀で突く」という荒治療も!?
閲兵式そのものをどう感じたのかははっきりしません。
式の終了後、今村は「士官学校に入ろう!」と決意を固めます。
それは明治天皇の姿を見て感動したとか、軍の規律に感激したといった理由ではありませんでした。
御所へ戻る明治天皇の馬車へ民衆が殺到するのを見て、何か熱い気持ちがこみ上げてきたのだそうです。
いかにも当時の人らしい感覚という気がしますが、こういう「言葉にできないけど突き動かされる感覚」ってありますよね。
今村は、閲兵式から帰る途中で母宛に「私は士官学校を受験することに決めました」と電報を打ち、早速地元で試験を受けて見事合格します。
しかし、ここでちょっとしたトラブルが起きました。
今村は小さい頃から夜尿症(おねしょ)に悩んでおり、士官学校に入ってからも完全に治りきってはいなかったのです。
この頃には、しでかす前に起きられるようになっていたそうですが、それがかえって睡眠不足の原因になってしまい、授業中もうたた寝をすることがままありました。
当然、教官からは怒られますから、本人もずいぶん悩んだようです。
軍医や友人に相談するのはもちろん、唐辛子を噛んだり、小刀で突く(!)などの荒療治もしていました。
その懸命さが認められて、教官たちはそのうち「今村はそういう体質だから仕方ない」と許してくれるようになったのだそうです。ええ話や。
これは今村が授業中の遅れを取り戻すべく、自分でも勉強に励んだからでしょうね。
士官学校を出た後は陸軍大学校(現在の陸上自衛隊幹部学校に相当・つまりエリート養成校)にも入っているくらいですし、そこの教官にも持病のことは伝えられていたそうですから。
つまりずっとこの体質は治らなかったということですが、大学校でも今村は努力を続け、見事主席で卒業しています。
余談ながら、近年でも今村のような夜尿症や、関連する症状に悩む人は多いようです。
原因は機能的なものや、ストレス・疲労など精神面の場合もあるとのことで、お悩みの方は専門医の門を叩いてみてくださいね。
オランダとの交渉決裂でインドネシアへ進軍する
戦争が始まってから今村は、オランダ領東インド(現在のインドネシア)攻略作戦を指揮することとなりました。
通称【蘭印作戦】です。
目的はこの近海にある石油でした。石炭は国内でも採れますが、石油はそうも行きませんからね。
しかしインドネシアは日本から遠く、かつ島国であるため非常に侵攻が難しいところです。そのため、政府としてはできるだけ戦闘を避けようとしていました。
オランダへも交渉をしていたようですが、あえなく決裂し戦争に至っています。
数字と馴染みのない地名が続くので細かい戦闘の様子については省略しますが、だいたいこんな感じです。
【7行でまとめる蘭印作戦】
1. 日本人がたくさん住んでいた島を足がかりにする
↓
2. 近場の油田地帯に進む
↓
3. あっちこっちでマラリアや吸血ヒルとも戦いながら進攻
↓
4. 東南アジア有数の大製油所を確保
↓
5. バリ島他を占拠
↓
6. いわゆる「本丸」にあたるジャワ島攻略のため海戦
↓
7. オランダ領東インド一帯が日本のものに
日本側の予測では120日間で作戦完了の予定が、約3/4にあたる92日間で終了したといいます。
司令官の質と兵の士気の高さがうかがえますね。とはいえ……。
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