聖武天皇と光明皇后が、鎮護国家と貧民救済に励む頃、兄の四兄弟は政争に明け暮れ、見事これに勝利。
長屋王を自殺へと追い込むと、四人揃って公卿のメンバーとなり政権を動かしていくのであった。
しかし……。
世の中は甘くない。
げに恐ろしきは人の恨み、呪いなり。
頂点に立った兄弟たちの前に、流行り病の壁が立ちはだかる――のであった。
第17話、スタート!!!
◆聖武天皇の奥さん・光明皇后は慈悲深い人として知られております。
一説には日本最古と考えられる社会福祉施設の「悲田院」と「施薬院」を設置したのが彼女(723年※日本最古は聖徳太子という説も)。
悲田院……貧しい人や孤児を救うための施設
施薬院……病気・ケガの治療や施薬を行う施設
聖武天皇は大仏で鎮護国家を祈祷する一方、彼女は地に足の着いた救護活動に力を入れていたのですね。
◆国分寺は皆さんご存知ですよね?
東大寺がトップになって全国に設置された護国のためのお寺です。
一方、国分尼寺はいかがでしょう?
こちらのトップは東大寺ではなく法華寺です。
そう、この法華寺は光明皇后さんが開基となっているのです。
その法華寺には、十一面観音像が本堂に安置されておりまして。
乾陀羅国(パキスタン北部)からやってきた仏師・問答師が造ったという伝承が『興福寺濫觴記(らんしょうき)』に残されております。
仏像は3体作られ、1体が十一面観音像とのこと。2体は無事に届けられたんすかね?
パキスタンとは、こりゃまた随分と遠方からやってきたものです。当時の感覚ですとまさに天竺ですかね。
◆後に藤原四家の礎となった藤原四兄弟。
・藤原武智麻呂(藤原南家開祖)
・藤原房前(藤原北家開祖)
・藤原宇合(藤原式家開祖)
・藤原麻呂(藤原京家開祖)
恐ろしいコトに彼らは全員、737年に揃って亡くなります。
天然痘の流行に対して当時の人々はあまりに無力でしたが、それは権力者たる彼らも同じでした。
自分たちで追い込んだ「長屋王の呪い」として、死の直前はさぞかし怖い思いを抱いたでしょう。
いずれにせよ、藤原氏の死は他の皇族や貴族にとってのチャンスでもあるワケで、今後の奈良~平安時代はまさに入れ代わり立ち代わりで権力が推移していくのでした。
◆橘諸兄は、もともと藤原四兄弟と共に政府高官の公卿でありました。
問題は鈴鹿王ですよね。なんと、あの長屋王の息子。
四兄弟亡き後の公卿メンバーは、鈴鹿王と橘諸兄だけになってしまいます。
そこで両者が自然と浮かび上がるように更なる出世を果たして実質的に政権を動かすように。それが、日本史テストではお馴染みの吉備真備やら僧・玄昉などの台頭に繋がっていくワケですが、今回はここまで。
この時代、振り返ってみるとほんとカオスなんですよね。展開がコロコロ変わって興味深い。受験生泣かせではありますが。
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)