海北友松

『海北友松夫妻図』/wikipediaより引用

浅井・朝倉家

戦国武将の立身出世を諦めた海北友松(元浅井家の家臣)絵師として名を馳せる

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友松の作品「雲龍図」は建仁寺にあった

絵画の道に生きた友松は、数々の名画を生み出していきます。

でもやはり本望ではなかったのか「オレ、やっぱり芸術家よりも武家として生きたかったよ。年取っちゃったけど、まだどこかにチャンスないかなあ」なんてボヤキが残されています。

未練を抱えていながらも、重要文化財級の絵画を描けたのですから、秀吉の見立ては当たっていたのでしょうね。

そんな友松のお墓は、京都の建仁寺というところにあります。

友松の作品のひとつ『雲龍図』が有名ですね。

建仁寺雲竜図

ここは教科書や資料集によく載っている『風神雷神図』もあるお寺です。

『風神雷神図屏風』俵屋宗達

建仁寺の『風神雷神図屏風』(絵・俵屋宗達)/wikipediaより引用

ちなみに、友松のお墓の隣には親友・斎藤利三のお墓もあります。

「オレが死んだら、友達の隣に墓を作ってくれ」と言い残していたそうです。

雲竜図などの名画は、もしかすると利三供養の意味もあったのかもしれませんね。

本望ではなかったものの、人に見出されて立派な作品を残した友松。

我々凡人から見たら羨ましい限りですが……。

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参考

  • 『国史大辞典』(吉川弘文館, 書籍版刊行: 1979–1997, 全15巻17冊)
    ジャパンナレッジ: 公式ページ
  • 京都国立博物館「桃山の絵画」
    リンク (最終閲覧日: 2025年8月28日)
  • 「海北友松」『ウィキペディア日本語版』(最終閲覧日: 2025年8月28日)
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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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