聚楽第落書き事件

まんが戦国ブギウギ

聚楽第落書き事件~捨丸は一体誰の子よ? まんが戦国ブギウギ110話

2021/06/01

それは天正17年(1589年)2月のことだった。

2年前の天正15年に完成し、豊臣秀吉のお気に入りだった聚楽第の壁に、何者かが落書きを書いた。

詳細は不明ながら、天下人として権勢を震い、傍若無人化していた秀吉をバカにするような内容と伝わっており、もしも秀吉が、批判をものともしない器量があれば笑って過ごしていたであろう。

しかし、向かうところ敵なしの権力者に、その器は備わっていなかった。

聚楽第落書き事件――。

天下人の残虐な本性を炙り出すかのようなこの悲劇は、側室の茶々に待望の嫡男・豊臣鶴松(棄・捨)が生まれた年のことであった。

 

聚楽第落書き事件

◆正室・寧々(北政所)に限らず、数多の側室を抱えていた秀吉さん。

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なかなか子供に恵まれなかったのはよく知られた話ですよね。

側室の中には、秀吉の元へ来る前に子を産んでいた女性もいたのに……と、これ、現代の常識で考えれば秀吉さんが子供を作れない身体という診断になるようです。

しかし、現実に茶々(お市の方の娘・信長の姪っ子)は身ごもりました。

秀吉さんの喜びったら、そりゃ天にも昇る心地だったようですが、それに水を差されたワケで。

 


淀殿出産

◆落書きに激怒した秀吉さんは、聚楽第の警備係のものを始め、犯人、またその関係者を処刑しました。

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配下の警備係は耳鼻を削がれて磔にされ、犯人・道休たちは、本人だけでなく妻子や関係者も京都市内を引き回されて六条河原で磔。

この一件の被害者は60名ほどだと伝わっております。

しかし、そこまでやれば、落書きを暗に認めちゃってることになりそうなもんですが……。

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アニィたかはし

漫画家。現在は武将ジャパンにて、まんが『大河ブギウギ べらぼう編』シリーズを連載中。 2014年より歴史漫画家として活動を開始し、2015年には連載作品をまとめた商業コミック『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社)を全国発売。 以降、独自のポップ表現と歴史知識を融合させた「ブギウギシリーズ」を継続し、戦国・江戸・幕末など幅広い時代を題材とした作品を制作している。 2024年からは大河ドラマの各回を題材にした“ドラマ考証型マンガ”へと表現領域を拡大し、作品の幅をさらに広げている。 ◆主な著書 『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社、2015年、ISBN:978-4865370324) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001200494

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