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【戦国ブギウギ62話】
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高遠城の戦い
◆「攻めの三左」と称され、宇佐山城の戦いで壮絶な最期を迎えた森可成(よしなり)。
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森可成の生涯|信長が頼りにした織田家の重臣 蘭丸の父は壮絶な最期を迎える
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その息子としてつとに有名なのが森長可(ながよし)さんです(そして弟には蘭丸も)。
鬼武者として知られた父に負けず劣らず、長可もこの戦いで高遠城の三の丸屋根に上り、鉄砲を撃ちまくったとか。
勢い良すぎて軍規違反でたしなめられることもありながら、その後は川中島一帯と海津城の20万石を与えられているので、その活躍は凄まじいものがあったのでしょう。
このとき25歳。わずか13歳で家督をついで、15歳の頃には一線で活躍していたというのですから、本人は涼しい顔だったかもしれません。
ちなみに「人間無骨」とは、長吉さんの槍に彫られていた言葉で、この槍の前では「人の骨などないも同然のごとく脆い」という意味です。怖すぎです。
諏訪はな
◆高遠城の戦いでは、女武者・諏訪はなも戦い、敵を討ち取るなどして大活躍したと『信長公記』でも賞賛されております。
そもそもこの城は、勝頼の異母兄弟である仁科信盛が籠城し、武田方の味方が次々に陥落していく中で、最も激しい戦いが行われたところでもありました。
仁科信盛が武田家を継いでいたら?
そんな思いを抱いた武田ファンもいるかもしれません。
武田家における、最も大きな「歴史のIF」かもしれません・・・。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!









