どんな大名でも、多かれ少なかれお気に入りの家臣がいるものです。
秀吉であればいわゆる”子飼い”たちですし、痴情のもつれで裏切った(なんてことも囁かれる)陶晴賢だって元は主君・大内義隆の寵臣でした。
織田信長の場合は、やはり森蘭丸が挙げられますが、今回はそのお父ちゃんにご注目――。
元亀元年 (1570年)9月20日に亡くなった森可成(よしなり)です。
森蘭丸だけでなく森長可や森蘭丸、あるいは森忠政たちの父親でもあり、最期は壮絶な死でもって織田家の窮地を守ります。
一体どんな最期で、どんな人物だったのか?
さっそく見て参りましょう。
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森可成 元は美濃の土岐家に仕えていた
蘭丸があらゆる意味で信長に気に入られていたので、
”森家=蘭丸のおかげで出世した”
そんなイメージを持たれがちです。
しかし、順序が逆で、トーチャン・森可成の代から信頼されていたからこそ、蘭丸も信長に重宝されました。
森家は、織田家譜代の家臣というわけではなく、元は美濃の守護大名だった土岐家に仕えていた家系です。
一説には明智光秀と縁のある家ともいわれているので、後々のことを考えると因果を感じますね。
そして、土岐家が斎藤道三(信長正室・濃姫のお父ちゃん)によって滅ぼされたため、可成と森家は織田家につくことになりました。
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当時信長はまだ20歳くらい。
弟・織田信勝との確執もまだケリが着いていない頃でしたから、一人でも多く有能な家臣が欲しかったことは想像に難くありません。
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そこに、10歳ほど年上で経験豊富――さらに槍の名手として知られていた可成が来たのですから、信長は嬉々として迎えたことでしょう。
また、可成は頭もキレる人だったようで、情報戦などにも長けていました。
そのせいか忍者説もあるくらいです。
こういう謀略型って人付き合いが得意でないことが多いですが、可成は柴田勝家や前田利家とのエピソードがいくつかありますので、社交性もある程度備えていたようです。ホント器用やな。
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男児に恵まれていたので信忠の代も安泰
可成が男の子に恵まれていたのも気に入られた一因かもしれません。
長男・森可隆(よしたか)は若くして討死してしまいます。
しかし、後に恐怖の代名詞扱いされる次男・森長可(ながよし)に続いて
三男・森蘭丸(森成利)
四男・森長隆
五男・森長氏
六男・森忠政
と男児が続き、信長としては「これなら息子・織田信忠の代も助かりそうだ」と思っていたのではないでしょうか。
ついでにいえばこの六人兄弟+娘三人とも正室との間の子供ですから、もし【本能寺の変】が起きずに森家の息子たちが生き延びていれば、相当な結束力が生まれていたと思われます。
惜しいというかカーチャンすげえ。
まぁ、森忠政はかなり厄介なタイプの人でしたが……。
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