森蘭丸/wikipediaより引用

織田家

森蘭丸(成利)の生涯|5万石の戦国大名となった青年は信長の色小姓だったのか

2025/06/21

1582年6月21日(天正10年6月2日)は森蘭丸(森成利)の命日です。

織田信長が本能寺で最期を迎えるとき、そのそばにいたとされる美少年――それがあまりに劇的なシチュエーションであるせいか。

信長登場のフィクションには必ずと言っていいほど共に描かれ、大河ドラマ『どうする家康』では「森乱」という名前で大西利空さんが演じられました。

慣れ親しんだ「森蘭丸」ではなく「森乱」表記なのは、なぜなんだろう……。

そんな疑問も抱かれた方も多いかもしれませんが、そもそも森蘭丸とは史実ではどんな人物だったのか?

どんな事績があったのか?

蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図

『蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図』の森蘭丸/wikipediaより引用

その生涯を振り返ってみましょう。

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織田家に仕える森家に生まれる

森蘭丸は永禄8年(1565年)の生まれ。

父は信長の家臣・森可成(よしなり)であり、多くの子がいました。

【男】
可隆
長可
成利(蘭丸)
坊丸
力丸
忠政

【女】
碧松院(関成政室)
青木秀重室
うめ(木下勝俊室)

槍の名手だった森可成は、見目麗しき武将……ではなく、数々の戦役で武功を立てた勇将として知られます。

森可成/wikipediaより引用

極めつけが【宇佐山城の戦い】でしょう。

浅井朝倉連合軍に挟撃されそうになった織田軍本隊を守るべく、元亀元年(1570年)、大軍を相手に寡兵で応戦。

3万ともされる相手に1千程の兵でよく守り、討死を遂げるまで勇猛果敢に戦いぬきました。このとき長男の森可隆も19という若さで戦死しています。

累代の家臣であり、大きな犠牲を払って織田に仕えた森家の者たち――その忠義には信長も全幅の信頼を寄せたのでしょう。

父の跡を継いだ森長可(ながよし)は、鬼神の如き猛将として織田家で重用され、弟たちも小姓として側近くに仕えることとなります。

森長可/wikipediaより引用

しかし、それは森家にとっては必ずしも幸運だったとは言い難いかもしれません。

なぜなら、3~5番目までの男子が、小姓時代に【本能寺の変】に遭遇し、全員命を落としてしまうのです。

そんな悲運の三兄弟の一人が森蘭丸でした。

 


信長の側近として、本能寺に散る

時計の針を少々戻します。

本能寺の変が勃発する4ヶ月前、天正10年(1582年)2月のことです。

信長の長男・織田信忠の率いる織田軍と同盟相手の徳川軍は、甲斐へ攻め込み、武田勝頼を滅ぼしました。

武田勝頼/wikipediaより引用

兄の森長可はこの武田討伐で華々しく武功を飾り、信濃国の川中島に領地替え。

これに伴い、弟の森蘭丸が美濃兼山と米田島を与えられます。

前年に近江で与えられていた500石から一気に5万石の大名になったとされ(寛永伝)、蘭丸も織田家に仕えた忠臣の一人として重用されていたことが見てとれましょう。

さらに時を遡って天正7年(1579年)、塩川長満のもとへ遣わされたときは、2年ほど信長のもとで活躍した形跡が文書に残されています。

信長の側に仕え、奏者(そうじゃ・取次役)や副状発給といった、いわゆるアシスタント系の仕事を務めていたのです。

簡単に言うと、贈り物の受け渡しや信長のお使いですね。

こうした記録から「信長の側にいた美少年」として、戦国作品で重宝されるようになったのでしょう。

 

華やかな小姓として主君の死を盛り上げる

天正10年(1582年)6月2日払暁――明智光秀が本能寺へ攻め込み、織田信長や、弟の坊丸・力丸らと共に森蘭丸も討死してしまいます。

織田信長(左)と明智光秀/wikipediaより引用

享年18。

森蘭丸がここまで有名になったのも、こうして主君のかたわらで討死したからでしょう。

あまりに劇的な最期、そこに付き従う脇役として、江戸時代以降、その存在は物語や絵画などで膨らんでゆきました。

そこにはこんなお約束があります。

◆やっぱり美少年じゃないとな!

森蘭丸といえば、やはり美少年の姿が思い浮かんできますね。

しかし、これはイメージありき。

「信長の横で死んでいく少年だったら、やっぱりイケメンがよくね?」

そんな需要から浮世絵師たちが供給し、現在まで引き継がれていった創作という理解でよいと思います。

日本人はともかく美少年が大好きです。

複数ある表記の中で「蘭丸」が有名であるのも、“美貌の小姓”に最もイメージが近いからではないでしょうか。

◆そもそも色小姓だったの?

あの信長の側にいて、しかも美少年――となれば色小姓にしたくなるのは自然の流れ。

いわばカップリングです。

しかし男色関係は美談として誇張されやすく、実際に信長と蘭丸がそうだったのか?という確定は難しく、確たる史料はありません。

武田信玄や伊達政宗のように、ほぼ間違いない証拠がなければ断言はできないでしょう。

武田信玄(左)と伊達政宗/wikipediaより引用

◆もはやほとんどフリー素材

森蘭丸は、現在に至るまで様々な作品で愛くるしい美少年として登場してきました。

現在の漫画アニメやゲームだけでなく、江戸時代中期の『絵本太閤記』にはこんな話があります。

堺の妙国寺に、大きな蘇鉄(ソテツ)がありました。

この名木が枯れそうになったとき、法華宗本山から高僧を呼び寄せ、読経させたところ、ピタリとやみました。

これを聞きつけた信長は怒ります。

「そうやって坊主のインチキをありがたがるとは、くだらん、けしからん! その蘇鉄を安土へもってこい!」

いざ安土城まで運ばせると、見事な蘇鉄を見て信長はすっかり気に入りますが、庭から不気味な声が聞こえてくるようになりました。

「妙国寺へ、かえせ……妙国寺に……」

信長が蘭丸に命じて庭を調べさせると……その声は蘇鉄から出ているではありませんか!

切り倒そうとすると、周囲の皆が苦しんで血を吐いてしまいます。

信長は悩みました。

「そういえばあの魏武帝曹操も、濯龍園の木を切り、梨の木を移植しようとしたら、切ったところから血が流れたという。不吉だな。妙国寺に戻そう」

かくして蘇鉄は妙国寺に戻されました。

というものですが……『絵本太閤記』が成立した当時は、庶民にまで漢籍教養が広まる気配がありました。

この逸話も『三国志演義』の曹操をヒントにした可能性があり、そこに話を盛り上げる森蘭丸もご登場というわけですね。

 

浮世絵にも華々しく登場

逸話は物語の中だけでは終わりません。

「大きな蘇鉄に蘭丸――これは画題としてイイ!」

ということで、後に幕末の浮世絵師・月岡芳年が『和漢百物語』の「小田春永」(“織田信長”の検閲を避けるための表記)、『新形三十六怪撰』で「蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図」を描いています。

こちらが『和漢百物語』で

和漢百物語

和漢百物語の小田春永と森蘭丸/wikipediaより引用

月岡芳年の兄弟子・落合芳幾が描いた蘭丸は、伝統的でオーソドックスな絵柄ですね。

落合芳幾による森蘭丸/wikipediaより引用

これに対し、芳年最晩年に描かれた「蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図」は、ポーズといい、横顔といい、浮世絵の枠をはみ出したい作者のスタイルが出ています。

ジョジョ立ち(『ジョジョの奇妙な冒険』のようなポージング)のようで面白い!

蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図

『蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図』の森蘭丸/wikipediaより引用

森蘭丸といえば美少年――彼を愛でたい!

そんな願望は日本の伝統とも言えるでしょう。

本能寺で薙刀を持ち奮戦する帰蝶は、現在では見かけなくなりましたが、蘭丸が消えることはありません。

過去の映像作品でも以下のように何度も登場しています。

 


歴代大河ではネクストイケメン登竜門

大河ドラマに森蘭丸が登場する。

となれば美少年であることが期待され、これまでも、その時代を代表する俳優が選ばれてきました。

信長の最期に付き添うことから注目度も高く、非常に重要な役回りと言えるでしょう。

そこで過去の大河作品をざっと振り返りますと……。

1965年『太閤記』演:片岡孝夫さん。現在の15代目・片岡仁左衛門さんです。

1973年『国盗り物語』演:中島久之さん。この作品を含め、大河ドラマに10作出演されています。

1983年『徳川家康』演:土家歩さん

1992年『信長 KING OF ZIPANGU』演:竜小太郎さん

1996年『秀吉』演:松岡昌宏さん。大河ドラマには3作出ております。

2002年『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』演:ウエンツ瑛士さん

2006年『功名が辻』演:渡辺大さん

2011年『江〜姫たちの戦国〜』演:瀬戸康史さん。『鎌倉殿の13人』では「トキューサ」として親しまれた北条時房を演じました。

2014年『軍師官兵衛』演:柿澤勇人さん。『鎌倉殿の13人』で源実朝を熱演。

2020年『麒麟がくる』演:板垣瑞生さん

2023年『どうする家康』演:大西利空さん

実にこれだけの登場となっているんですね。

しかも、蘭丸役に抜擢されれば、その後の大河作品にも起用される傾向が強い。

さらなる飛躍へと繋がる役とも言えるでしょう。

 

大河ドラマがイメージを変えることも

大河ドラマ『どうする家康』は「シン・大河」と称され、従来のイメージを変えてゆくといった喧伝が大きく、実際、話題にもなりました。

悪女として知られた家康の正妻・築山殿が、愛らしく平和を夢見た聖女のような瀬名にされたり。

屈強で精悍なイメージだった鳥居強右衛門が、歌が好きで愛嬌のある人物とされたり。

月岡芳年の描いた鳥居強右衛門/wikipediaより引用

森蘭丸の場合、鳥居強右衛門のような人物とは異なり、美少年としての印象があまりに強く、従来の外見イメージからは大きく外れていませんね。

しかし名前は森蘭丸ではなく森乱へ。

その名の通り、乱れた様を見せるのか?

と、最後になりましたが、「森乱」という表記について見ておきますと……。

当時は、幼名や仮名、実名があった他、後世に字の混同があったり、同音で異なる字が当てられたり、単なる表記ミスがあったりして、一定しないことはままあります。

森蘭丸の場合は「乱」や「乱法師」という記述があるため、今回はそれが採用されたのでしょう。

参考までに『寛政重修諸家譜』では森長定、『金剛寺文書』では森成利とあり、現在の国史大辞典では「成利」としています。

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【参考文献】
歴史群像編集部『戦国時代人物事典』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
『国史大辞典』

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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