中宮彰子の懐妊を願い、御嶽詣へ向かった道長一行。
命の危険さえ本気で危険な取組ですから、道長は娘の懐妊だけを願っていたのか? 彼を駆り立てた動機は何だったのか?
前回の放送では、興福寺の欲求を突っぱねてから不幸が続きましたので、そうした懸念を払拭したかった思いもあるかもしれません。
何だか不穏なことを察している道長の様子も描かれていました。
さらには前回の放送では「曲水の宴」も開催されています。
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このイベントには、女性の不妊の原因となる穢れを祓う禊(みそぎ)としての意味もあります。
道長自身からすれば、どちらの狙いもあるのでしょう。
その上でいかなる動機をクローズアップするのか? プロットに練り込むのか?その取捨選択が見どころになる。
今回はナレーションで「懐妊祈願のため」と明示されてドラマは始まりました。
歴史劇とは、史実で起こったことに対し、創作側が好きな動機をつけることが特徴といえます。
たとえば本能寺の変は、大河ドラマが作られるたびに動機が変わる。
本作は、御嶽詣を道長の親心としたことで重要な意味を持ち始めました。
藤原伊周の陰謀
この御嶽詣に際し、道長の政敵である藤原伊周は自邸で陰謀を練っていました。武士の平致頼(むねより)を派遣し、道長暗殺を狙っているのです。
道長一向は僧侶を含めておよそ20名しかいない。これも「思い上がっているからだ」と勝手な解釈をする伊周。
すると、打ち合わせのあと、弟の藤原隆家が酒を片手にやってきました。
すれ違った武士を見て、何か不穏なものを覚えながら伊周の元へ行くなり、先にこう言われました。
「何も聞くな」
「聞く前に言うな」
ただならぬ気配を察知した様子の隆家。伊周も訝しんでいるのか、何をしにきたのかと問いかけてきます。
隆家はよい酒をもらったから一献どうかと勧めてきます。
酒は飲まんと返す伊周。実は皇后定子が身罷られてから飲んでいないとのことでした。
「そうだったかのう」
怪しい雰囲気を察知して露骨に疑っている隆家。伊周は、弟を帰らせて一人で考えたいと告げます。
史実においては、伊周の暗殺計画が漏洩していたことは確かで、藤原実資の日記『小右記』の目録である『小記目録』に記載があるそうです。
実際にあったのか、はたまた噂を実資が書き留めただけなのか。道長の日記『御堂関白記』を読むと、そうした暗殺が実行されたようには思えません。
本作はそこをアレンジしてプロットに取り入れてきました。
日本ならではの絶景と信仰
豪雨の中、道長一行は山道を登ってゆきます。
御嶽詣といえば過去には藤原宣孝も行い、その際のド派手ファッションが呆れられて、『枕草子』では「ありえなくない?」と批判されたものでした。
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宣孝の御嶽詣が途中までのイージーコースなら、道長はガチのベリーハードコースだったのか。
行く道は険しいものであり、これぞ絶景ロケ!
苔むした岩。
古代から聳え立っているような木々。
まさに秘境であり、足元を泥まみれにしながら、彼らは山道を歩いてゆきます。
これぞ日本といえる景色であり、観光ポスターに使いたくなる見事な風景が広がっていますね。
舗装されていない道は、靴よりも草履が適しています。日本の交通事情が反映された足元が大写しになります。
彼らの眼前にそびえる大木も凄まじい迫力ですね。
日本は森林火災が起きにくい環境にあり、まるで古代からあるような森が特徴。大河ドラマはじめ、時代劇ならば一度はこうした森の景色があると嬉しいものです。
『鎌倉殿の13人』でもしばしば見られました。
そして山岳信仰も重要です。
山がある。神秘的だ。そう考える原始的な宗教は日本らしさがあり、中国由来の山岳信仰の影響も感じられます。
険しい自然環境で信仰心を試す。そういう根源的な心理状態が興味深いともいえる、実に意義ある場面でしょう。
よくできた嫡男・頼通
宿にたどりつき、道長と頼通は食事をとっています。
しかし食欲がないようで、頼通は心配しています。義兄の源俊賢がやってきて、明日は雨が上がりそうだと声をかけながら食膳の状況を見て、心配しています。
「もっと召し上がられませ、体が持ちませぬゆえ」
そういうと、頼通は無理強いはするなと言います。いざとなれば私が父を背負って山を登ると語るとまで言い切ります。
俊賢はそんな頼通の心構えを絶賛し、頼通は聡明で頼りになり優しいと褒めちぎっています。
道長は淡々と「あまり褒めると図にのるからほどほどにせよ」と止めるのでした。
調子に乗ったことはないと否定しながら、座を立って厠へ向かう頼通。
このあと俊賢はすかさず、妹の明子が産んだ、つまりは甥の藤原頼宗もなかなかだと勧めてきます。
すると道長が意外な言葉を返してきました。
「明子は私の心をわかっておらぬ」
地位が高くなることばかりが幸せではない。明子は頼通と頼宗を競い合わせようとするけれども、もう張り合うなと言うようにと俊賢に伝えてきます。
これには俊賢も「はは」とかしこまるしかありません。
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道長は随分と切れる男になりました。かつては藤原斉信の思惑にしてやられたと悔しがっていたものですが、今では相手の意向を見抜き、嗜めるようにまでなっています。
人としての器量は申し分ないようで、食が細いことは気になります。道長はあまり長命ではないのだろうと思わせます。
この食事にしても、じっくりメニューをみたら絶望的な気持ちになることでしょう。
仏教の修行ですから、酒はともかく、肉も魚も、ニンニクもない。茶もまだない。体を動かしたあとは塩分、糖分、クエン酸が欲しくなるもの。
果たして栄養は足りているのでしょうか。
羊羹はスポーツ時のカロリー補給に最適ですが、その羊羹にせよ日本で生まれるのはまだまだ先のことです。
何を食べて精をつけるのか? と、頭を抱えたくなるような質素な料理でしょう。
昔の食卓は飯の量がともかく多いのですが、それにはおかずが少ないという事情もありました。
想像するだけでも気が遠くなりそうです。
子を思う親心とは
そのころ帝は、まひろに「夕顔の死」について尋ねていました。
生き霊のせいで突然死してしまう。そんな展開に納得できていない様子です。
まひろはそっと、誰かが心の苦しさゆえに生き霊となったのかもしれないとヒントを投げかけました。
ここでゾッととしたように、帝は左大臣こと道長の心持ちを尋ねます。御嶽詣までして中宮懐妊を願うものだろうか。そう疑念を抱いているのです。
「それは親心にございましょう」
「親心?」
訝しがる帝に対し、左大臣が願うのは、中宮様の女としての幸せだとまひろは答えます。
弟の藤原惟規が聞いたら「姉上が女としての幸せだってよw」と笑い飛ばすかもしれません。
しかしこのドラマのまひろは想像し、見聞きし、思考を巡らせます。中宮の立場に立ち、道長の心持ちも想像して、彼女は考えたのでしょう。
道長は姉である藤原詮子が夫である円融天皇に愛されず、不満を抱えていたことを覚えています。
そんな姉のようになって欲しくはないと考えているはずだ。まひろはそんな風に読み解いたのでしょう。
それでも帝は、命懸けの御嶽詣までして叶えたいのかと驚き、まひろはそのようなことに命を懸けるのが人の親だと言い切りました。
帝は三人の子を持つ親で、親心はわかっていても、此度のことは理解できない様子ですが、これがまひろの心理操作の達人とも言えるところ。
物語を書く上で様々な情報をインプットし、想像力を働かせることで他者の心境が頭の中に浮かんでくるようになっているのではないでしょうか。
いわばカウンセリングでもあり、この作品における安倍晴明をも彷彿とさせますね。
作品の力で、いつの間にやら「世を動かす力すら身につけていた」とも言えるかもしれません。
本作は『源氏物語』の制作過程と政治劇を組み合わせ、心理描写に落とし込む――なかなか複雑で魅力的な構造を持っています。
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命懸けの御嶽詣
御嶽詣は確かに命懸けでした。
ほぼ90度に見える岩壁を、細い綱一本を頼りに登ってゆく。
源俊賢がその崖から落ちかけて、頼通が差し出した手を頼りにようやく登る場面も出てきました。
「烏帽子を落とすことはパンツを脱がされるような恥辱の極みである」にもかかわらず、それを気にせず源俊賢は頼通の手にすがりつき、烏帽子より命の方が大事だと示されました。
平安中期の大河ドラマがここまで体を張るとは、全く想像がつかなかったことです。
道長一行は、偏った栄養の食事をして、そこまで運動をしているとも思えないのに、どういうことなのか。軽やかで同時に勇ましいBGMも個性的です。
かくして九日目には金峯山寺山上本堂へ到達しました。
立派な袈裟で読経する僧侶もかなりの強者なのでしょう。
ここで様々な仏事を催し、蔵王権現に書き写した経典を捧げたそうです。
ちなみに道長の『御堂関白記』は悪筆で悪名高いものですが、こうした経典は綺麗な字なのだとか。
手抜きとそうでない時の差が激しいようです。
兄の復讐心を止める弟
後は無事に京へ戻るだけだ――そう思わせたところで、彼らに思わぬ危険が待ち伏せていました。
武士の一団が、山上から弓矢を構えて道長一行を狙っていたのです。
伊周が「必ず射止めよ」と指示を出し、餌として平致頼には“検非違使の地位”をちらつかせています。
こうしてみると凶悪な暗殺者のようで、少し弱いようにも思えてきます。弓矢は足がつきかねないので、こういうときは落石を偽装するのがおすすめの暗殺手段となりましょう。
すると突然、山中に声が響きます。
「急がれよ!」
斜め上の山上に目をやりながら、隆家が飛び出してきたのです。
手前で大きな石が落ちてきた! 急ぎ通り抜けることをお勧めする!
そう誘導する隆家に対し、「御嶽詣をしているのか?」と問いかける道長。
「中宮様の懐妊を祈願しに来た! どうかご無事で!」
そう答えて、道長一行を急かし、窮地から救い出す隆家。かくしてこの暗殺計画は未然に防がれたのでした。
計画に失敗した伊周は、隆家と水辺で語り合っています。
「なぜ俺の邪魔ばかりするのだ」
苦い口調でそう問いかける伊周は【長徳の変】に繋がった一件を未だに引きずっていたようです。
伊周が止めたにもかかわらず、隆家は花山院の車に矢を射かけた。あれから何もかも狂い始めた。そのことで隆家を恨んだ覚えまではないと打ち明けます。
「だが今、ここまで邪魔をされるとお前に問いたくなる。隆家、お前は俺の敵(かたき)か?」
隆家はさらりと答えます。
「兄上を大切に思うためだ」
今さら左大臣を殺したところで何も変わらない。さだめを受け入れて生きることが兄上の道である。伊周の息子・藤原道雅も蔵人になったのだから。
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隆家は兄の運命を狂わせたことへの償いとして、憎まれてでも兄を止めねばならなかったと語り、こう言い切ります。
「これが俺にできる、あのあやまちの詫びなのだ」
「ふっ、帰ろう。道長なぞ、狙ったつもりはない。はははは、うつけものめ」
弟にそう返し、笑い飛ばす伊周。道長でなければ誰を狙ったのか?
その答えは明かされることなく、二人は都へと戻るのでした。
物語にしてしまえば何もかも霧の彼方へ
道長は都に戻り、藤壺へと報告に来ます。
すると敦康親王もやってきて「どこへ行っていたのか?」と無邪気に尋ねます。そして左大臣が留守の間「中宮を守っていた」と誇らしげに言うのでした。
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道長はその後まひろの元へ向かい、物語の進捗について確認してきます。彼女から「次の巻を書き上げた」と聞くと、疲れているだろうに「見せよ」と命じてきます。
道長は逃げた小鳥を追いかける少女は、まひろの実体験だと理解しつつも、こんなにかわいらしくなかったと言います。
嘘はつくし話は作るし、とんだ跳ねっ返りであった――そう軽口を叩きながらも、内心面白くて気になるからこそ、読みにきたのでしょう。
疲れも吹き飛ばす物語の力。現代人であれば週刊漫画誌やおもしろいドラマの続きが気になるようなものでしょうか。
しかも、このあとの展開は、光源氏と藤壺が密通し、不義の子を孕ってしまう展開です。
道長が動揺しながら、この不義の話はどういう心づもりで書いたのかと尋問してきます。
「我が身に起きたことにございます。我が身に起きたことは全て、物語の種にございますれば」
「ふ〜ん、おそろしいことを申すのだな。お前は不義の子を産んだのか?」
そう問い詰める道長。
まひろの子は一人だけなのに、密通相手が自分だと思い当たるところはないのでしょうか?
どれだけ鈍感なのやら。
「ひとたび物語になってしまえば、我が身に起きたことなぞ霧の彼方……まことのことかどうかもわからなくなってしまうのでございます」
そう煙に巻くようなことを言い出すまひろ。道長はすぐに写させるようにすると持って行くのでした。
表情からして、道長も流石に気づいていないとも思われます。この曖昧なまま続いていく関係が、なんともいえぬ雰囲気を醸し出しています。
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嘘をつく時、真実を混ぜるとリアリティが増すとされます。創作もそうでしょう。
帝が夕顔の死に衝撃を受けていましたね。『源氏物語』の生き霊描写は、どこかリアリティがあり、因果関係がはっきりとしています。
葵の上に取り憑いた生き霊と化した六条御息所は、髪を洗っても、衣を着替えても、悪霊祓いに使われた護摩の香が体に染み付いて抜けない描写が出てきます。
この香により、生き霊の正体が示されました。
理詰めの細やかさがプロットを強化していて、信ぴょう性を増しているのです。
創作の中に生々しさを織り込む持ち味――それをこのドラマでは、まひろの人生経験と創作技術に結びつけているわけです。
書くことで思いを永遠に残す
同年10月(1007年)、敦道親王が27歳で世を去りました。
あかね(和泉式部)の思い人でした。
あかねは、敦道親王の前に愛した為尊(ためたか)親王も早くに亡くしています。
「自分がお慕した方は皆私を置いて旅立ってしまう、まるで私がお命を奪っているようだ」
そう嘆く彼女に対し、まひろは慰めます。
「二人の親王様はあかねとの日々を愛おしく思っていたでしょう」
もう触れられないなんて……と嘆きながら、あかねが歌を詠みます。
ものをのみ
乱れてぞ思ふ
たれにかは
今はなげかん
むばたまの筋
もの思いに耽り、心も千々に乱れ髪を櫛けずることすら忘れてしまった。この嘆きを誰に聞いて貰えばよいのだろう。
どんなにあの世から見守ってくださろうと、二度と顔を見ることもできないなんて、と嘆きに沈んでいるあかね。
心を開いて親王と歌を詠みあったと思い出しています。
本作のキーワードである「心を開いて」がここでも登場していますね。
そんな彼女にまひろは提案します。親王との日々を書き残してはどうか?
かつて書くことで、己の悲しみを救ったと語る女性がいた――ドラマでの藤原寧子(藤原道綱母)のことでしょう。
まひろは、書くことで親王様との日々が後々まで残るのだと説明します。
このドラマは、まひろが生きた年代が重なる女性文学者たちに、執筆を勧める役割を果たしています。
ここまで誰かに執筆を勧めるとなると、人物というより女性文学者という概念を擬人化したようにも見えてくる。
今後、何人の女性たちを動かすのか。
惟規、禁忌を犯す恋をする
夜、藤原惟規が誰かに追われながら走っています。
犬の鳴き声も聞こえており、一歩間違えれば死にかねない。そんな平安京を駆け抜けている。
惟規がそうまでしてたどり着いたのはなんと「斎院」でした。
未婚の内親王が神事を行う聖域であり、ここにいる中将の君という女性が惟規の思い人でした。よりにもよって、そんな危険な場所の美女を相手にするんですか!
そして抱き合う二人。惟規はあえなく追っ手に捕まってしまいます。
まひろは藤壺に遊びにきた弟からこの一件のことを聞き、頭を抱えています。
「禁忌を犯すからこそ、燃え立つんでしょ」
「なんてこと……」
しれっと言い放つ弟に絶句するしかない姉。惟規はおかしそうにこう続けます。
「姉上だって、そうだったもんね」
「私は禁忌を犯してなんかいません」
「身分の壁を越えようとしたくせに」
「そんな昔のこと、もう忘れたわ」
「昔のことなのかな〜」
なんなんでしょう、この姉と弟のやりとりは。惟規は姉と道長の関係を知った上でチクチク突いてきます。
浮かれるなと弟を嗜めつつ、どうやって解き放たれたのかと聞いてくるまひろ。
なんでも咄嗟に歌を詠んだとか。
神垣は
木の丸殿に
あらねども
名のりをせねば
人とがめけり
斎院の神垣は、あの「木の丸殿」ではないけれども、私が名乗らなかったせいで、人に咎められてしまったな。
これを見た斎院の選子内親王(のぶこないしんのう)が「なかなかセンスが良い歌だ」ということで釈放されたとか。
まひろは「そんなにいい歌でもない」と返しますが、一体どういうことなのか。
後の天智天皇は、斉明天皇崩御の際、木の丸御殿で喪に服しました。ここは入る時に名乗らねばならなかった。
木の丸殿ではないけれど、どうやら名乗らなければならかったのか。
そうひっかけて詠んだのです。
惟規は天智天皇を引いたから内親王の心を掴んだのだろうと得意がっています。『今昔物語』にもこの逸話は収録されています。
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姉上の弟ゆえ歌が上手いと得意げな惟規に、もう斎院には近づかぬようまひろは釘を刺します。
そうはいかない、俺を待っているおなごがいると惟規。
まひろは「罰があたってあなたも相手も早死にする」というと、「仕事に戻る」と誤魔化そうとする惟規。父上を心配させるなと念押しし、ため息をつくまひろでした。
それでもここで創作のヒントを得たのでしょうか。
少女誘拐をする光る君は「無分別」だ
まひろは執筆しています。
NHKの別番組『100カメ』でも書道指導の根本先生が絶賛しておりましたが、小筆書き(かな書道をする人)は吉高由里子さんが小指をつけずに筆を握ることに驚嘆しているとか。
ドラマの序盤で、彼女が歌の代作をしていた頃は、「左利きなのに修正してがんばっているなぁ」と思って見ておりました。
それが今ではあまりに自然で美しくて、驚嘆するばかりです。
まひろが執筆を終えると、同僚である左衛門の内侍と思い人がいて、二人とすれ違いました。
あれが帝と中宮が夢中になっている噂の女房かと驚く男。
私たちとは比べものにならないと嫌味を言う左衛門の内侍。
遅くまで尊いことをしてご苦労様だと労った上で「私たちは尊くない楽しいことをしましょ」と去ってゆく二人です。
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その物語を、中宮の前で宰相の君が読んでいます。中身は「若紫」のようで女房たちは感想を言い合っています。
無理に少女を連れ去るのはどうか。
少女の父が薄情だから、光る君のところの方がよいのではないか。
そうはいっても、強引ではないのか。
まことの思い人は藤壺なのだから、これではこの少女はおもちゃのようなものではないか。
子まで為しておきながら、幼子を引き取る光る君は無分別の極み!
「無分別!」
一同からはそんな結論が出されていました。
これは現代の古文の授業にしてもそうで「あれは一体どうなのか」と話題になったりします。
森鴎外の『舞姫』と『源氏物語』は、主人公の言動が嫌な国語教材のワースト候補じゃないか?と個人的には思うほど。
そこへ宮の宣旨がやって来て、敦康親王は物忌のため来られないと説明しています。
そして女房たちには、装束の手入れをする刻限だと告げるのでした。
中宮様はどのような人でしょう?
準備をしようとまひろが立ち上がると、突然、中宮彰子が語りかけます。
「光る君へに引き取られて育てられる娘は私のようだ」
幼いうちに入内し、ここで育てられた。そんな自分と重ねる彰子。この娘が今後どうなるのか、気になっています。
考え中だと答えるまひろ。それを踏まえた上で、どうなると良いか?と聞き返します。
「光る君の妻になるのがよい」
そして妻になるということを噛み締めるようにいい、なれるようにしておくれと懇願してきます。
物語によって心が開いてきた中宮に、まひろは問いかける。
「帝のまことの妻になりたいと仰せになったらよろしいのではないでしょうか? 帝をお慕いしておられましょう」
「そのような……そのようなことをするなぞ私ではない」
「ならば中宮様らしい中宮様とはどのようなお方でございましょうか」
そう質問を投げかけると同時に、自分が知る中宮様は青い空が、冬の冷たい気配が好きだと続けるまひろ。
左大臣の願う苦労も知っている。そして敦康親王にとっては唯一無二の女人。色々なことにときめく心もある。
「その息づくお心の内を帝にお伝えなされませ」
呆然とする中宮。
そこへ帝がやってきます。敦康に会いにきたがおらぬというと、突然、中宮が帝の方を向きました。
「お上!」
「ん?」
「お慕いしております!」
涙ながらにそう訴える中宮。
帝は憐れむような目をして「また来る」と立ち去ってゆくのでした。
涙が次から次へとあふれてくる中宮。泣きじゃくる中宮でした。
開いた心、結ばれた縁、実った策
道長が帝に来年の朝拝について申し入れをしていると、帝は御嶽詣のご利益はあったのかと声をかけます。
まだわからないと答える道長。
「今宵、藤壺に参る。その旨伝えよ」
帝の突然の言葉に驚いた表情の道長。これぞ、ご利益でしょうか。
藤壺では、女房たちが帝を迎える準備をしています。中宮は女房に身を任せ、身を整えている。
そして雪の降る夜、帝が夜の藤壺へ渡ってきました。
中宮に年を尋ねると、二十歳と答えられ、いつの間にか大人になっていたと返す帝。
「ずっと大人にございました」
「そうか……」
帝はそっと中宮に寄り添い、寂しい思いをさせたことを詫びます。そして抱き寄せ、二人はまことの夫婦となるのでした。
その夜、まひろと道長は月を見ていました。
道長に「お前の手柄か?」と尋ねられて「何もしていない、帝の心を掴まれたのは中宮様ご自身だ」と返すまひろ。
「金峯山の霊験」も付け加えます。
そう語り合う二人を、誰かが物陰からジッと覗いていることが気になりますが……ともかく策は成功しました。
帝の心を動かしたのは、他ならぬ道長とまひろの二人だったのでしょう。
帝は道長の御嶽詣に動揺し、まひろから親心を解説されて罪悪感がチクリと生まれていました。
思い起こせば円融院は藤原兼家を嫌っており、そのせいで娘の詮子まで遠ざけようとしました。
しかし道長は帝に好かれており、そのせいで帝は罪悪感を刺激されたのです。
一方、まひろは物語を通し、中宮の心を開きました。
薄紅色が似合う人形のように扱われていた中宮。
その心を開き、青い空を好む姿を引き出した結果、中宮は紅と青が混ざった紫色になりました。
藤壺にふさわしい、藤色で咲き誇る姿になったのです。
二人の結束が、この成功をつかみました。
大成功です。
MVP:藤原隆家
本作は、2019年下半期の朝ドラ『スカーレット』チームからの続投が多いことにも注目したい。
あのドラマは、細やかな心理描写が見どころののひとつでした。
今回も「心を開く」と出てきます。
心の機微が重要なのです。
誰も彼もが心の開き方、閉ざし方を間違える。そう伝えてくるようなこの作品。
藤原伊周と藤原隆家の兄弟も、その典型例に思えます。
青年期のやんちゃな隆家は、思ったことをそのまま実行に移してしまう悪癖ゆえに、軽薄なノリで花山院を射つという痛恨のあやまちを犯しました。
一方で伊周は、政治復帰の野心が全開になってしまった現在の方が、ブレーキが壊れ気味に思えます。
隆家は自分が恨まれてもよいと嫌われる勇気を発揮し、そんな兄の煮えたぎった復讐心を止めるべく、果敢に動きました。
心を分析したうえで、兄の説得に成功しています。
安倍晴明やまひろのような策士型とはちがう、熱血路線で心理操作を体現したのが隆家。お見事です。
演じる竜星涼さんがまた素晴らしい。
隆家は何も考えていないようで、しっかりしている。そんな魅力的な人物です。
あけっぴろげなようで奥が深い人物像になるよう、考えて演技を練っているように思えます。
でも見ている分には天衣無縫で、あるがままに、そのまま振る舞っているように見えてしまう。すごいことで震えてしまいそうです。
そして繰り返しますが、このドラマはあの『スカーレット』チームです。
『スカーレット』は喜びと楽しみに向かってゆく心の機微を美しく仕上げてきました。
その一方、怒りと哀しみへと転げ落ちてゆく悲痛な心も、生々しく血が滲むように丁寧に描いたものです。
『源氏物語』は決して明るい物語ではありません。
彰子も、父・道長に対し、ずっと敬愛だけを抱いているわけでもありません。
そんな彼女に仕えるまひろもそうでしょう。
ドラマが後半となり、冷たい風が吹くころ、どう見るものの心をかき乱してくるのか。今から楽しみにしております。
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【参考】
光る君へ/公式サイト













