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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第35回「中宮の涙」】
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子を思う親心とは
そのころ帝は、まひろに「夕顔の死」について尋ねていました。
生き霊のせいで突然死してしまう。そんな展開に納得できていない様子です。
まひろはそっと、誰かが心の苦しさゆえに生き霊となったのかもしれないとヒントを投げかけました。
ここでゾッととしたように、帝は左大臣こと道長の心持ちを尋ねます。御嶽詣までして中宮懐妊を願うものだろうか。そう疑念を抱いているのです。
「それは親心にございましょう」
「親心?」
訝しがる帝に対し、左大臣が願うのは、中宮様の女としての幸せだとまひろは答えます。
弟の藤原惟規が聞いたら「姉上が女としての幸せだってよw」と笑い飛ばすかもしれません。
しかしこのドラマのまひろは想像し、見聞きし、思考を巡らせます。中宮の立場に立ち、道長の心持ちも想像して、彼女は考えたのでしょう。
道長は姉である藤原詮子が夫である円融天皇に愛されず、不満を抱えていたことを覚えています。
そんな姉のようになって欲しくはないと考えているはずだ。まひろはそんな風に読み解いたのでしょう。
それでも帝は、命懸けの御嶽詣までして叶えたいのかと驚き、まひろはそのようなことに命を懸けるのが人の親だと言い切りました。
帝は三人の子を持つ親で、親心はわかっていても、此度のことは理解できない様子ですが、これがまひろの心理操作の達人とも言えるところ。
物語を書く上で様々な情報をインプットし、想像力を働かせることで他者の心境が頭の中に浮かんでくるようになっているのではないでしょうか。
いわばカウンセリングでもあり、この作品における安倍晴明をも彷彿とさせますね。
作品の力で、いつの間にやら「世を動かす力すら身につけていた」とも言えるかもしれません。
本作は『源氏物語』の制作過程と政治劇を組み合わせ、心理描写に落とし込む――なかなか複雑で魅力的な構造を持っています。
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命懸けの御嶽詣
御嶽詣は確かに命懸けでした。
ほぼ90度に見える岩壁を、細い綱一本を頼りに登ってゆく。
源俊賢がその崖から落ちかけて、頼通が差し出した手を頼りにようやく登る場面も出てきました。
「烏帽子を落とすことはパンツを脱がされるような恥辱の極みである」にもかかわらず、それを気にせず源俊賢は頼通の手にすがりつき、烏帽子より命の方が大事だと示されました。
平安中期の大河ドラマがここまで体を張るとは、全く想像がつかなかったことです。
道長一行は、偏った栄養の食事をして、そこまで運動をしているとも思えないのに、どういうことなのか。軽やかで同時に勇ましいBGMも個性的です。
かくして九日目には金峯山寺山上本堂へ到達しました。
立派な袈裟で読経する僧侶もかなりの強者なのでしょう。
ここで様々な仏事を催し、蔵王権現に書き写した経典を捧げたそうです。
ちなみに道長の『御堂関白記』は悪筆で悪名高いものですが、こうした経典は綺麗な字なのだとか。
手抜きとそうでない時の差が激しいようです。
兄の復讐心を止める弟
後は無事に京へ戻るだけだ――そう思わせたところで、彼らに思わぬ危険が待ち伏せていました。
武士の一団が、山上から弓矢を構えて道長一行を狙っていたのです。
伊周が「必ず射止めよ」と指示を出し、餌として平致頼には“検非違使の地位”をちらつかせています。
こうしてみると凶悪な暗殺者のようで、少し弱いようにも思えてきます。弓矢は足がつきかねないので、こういうときは落石を偽装するのがおすすめの暗殺手段となりましょう。
すると突然、山中に声が響きます。
「急がれよ!」
斜め上の山上に目をやりながら、隆家が飛び出してきたのです。
手前で大きな石が落ちてきた! 急ぎ通り抜けることをお勧めする!
そう誘導する隆家に対し、「御嶽詣をしているのか?」と問いかける道長。
「中宮様の懐妊を祈願しに来た! どうかご無事で!」
そう答えて、道長一行を急かし、窮地から救い出す隆家。かくしてこの暗殺計画は未然に防がれたのでした。
計画に失敗した伊周は、隆家と水辺で語り合っています。
「なぜ俺の邪魔ばかりするのだ」
苦い口調でそう問いかける伊周は【長徳の変】に繋がった一件を未だに引きずっていたようです。
伊周が止めたにもかかわらず、隆家は花山院の車に矢を射かけた。あれから何もかも狂い始めた。そのことで隆家を恨んだ覚えまではないと打ち明けます。
「だが今、ここまで邪魔をされるとお前に問いたくなる。隆家、お前は俺の敵(かたき)か?」
隆家はさらりと答えます。
「兄上を大切に思うためだ」
今さら左大臣を殺したところで何も変わらない。さだめを受け入れて生きることが兄上の道である。伊周の息子・藤原道雅も蔵人になったのだから。
伊周の長男・藤原道雅は「荒三位」と呼ばれた乱暴者だった? 真の姿は?
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隆家は兄の運命を狂わせたことへの償いとして、憎まれてでも兄を止めねばならなかったと語り、こう言い切ります。
「これが俺にできる、あのあやまちの詫びなのだ」
「ふっ、帰ろう。道長なぞ、狙ったつもりはない。はははは、うつけものめ」
弟にそう返し、笑い飛ばす伊周。道長でなければ誰を狙ったのか?
その答えは明かされることなく、二人は都へと戻るのでした。
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