筆マメだった伊達政宗は手紙に関する黒歴史がたくさん残っており、どれもこれも面白い――。
なんて記事が以下に掲載されておりますが、
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仙台市博物館には、伊達政宗が自筆で書いた借金の借用書も残っているから興味深いものがあります。
徳川幕府の老中・土井利勝と酒井忠勝に宛てたもので、日付は寛永13年(1636年)2月24日。
政宗が死亡する3か月前です。
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借りた額は銀1,000貫目でした。
現代の感覚でいくらというのは色々ですが、おおざっぱに言うと10億円。
文面は以下のとおりです。
この度、銀子千貫目相調えられ 後藤勝三郎手前より請け取り申し候
種々御念を入れられ、かくの如きの義、わけてかたじけなく候
いつなりとも御用次第に返弁つかまつるべく候
よって件(くだん)の如し
寛永十三年子 二月二十四日
松平陸奥守 政宗(花押)
土井大炊頭殿
酒井讃岐守殿
人々御中
【訳】
このたび銀子1000貫目をご調達いただき、確かに後藤勝三郎方より受け取りました。いろいろご配慮いただき、本当にかたじけなく存じます。
いつでも御入り用のときはご返済いたします。
よって証文、くだんの如し。
(11頁・佐藤憲一『伊達政宗と手紙』仙台・江戸学叢書12、2009年)
仮に現代の大会社・社長が借りるにしても、決して安くはない金額ですね。
政宗は一体なんのために借りたのか?
伊達家に調達できない額ではない
この年の前年、江戸で火事があり、仙台藩の上屋敷と本屋敷が類焼しました。
実は1621年にも類焼しており、十数年の間に2度も火事に遭っています。
そこで幕府は、老中の土井利勝を通じ、仙台藩に「幕府からお金を貸しましょうか?」という打診しました。
酒井忠勝も老中で、彼は金貨や銀貨の鋳造担当、いまなら財務大臣ですね。
10億円というと、庶民の財布では自己破産必至の金額ですが、全国第二位の外様大名にしてみれば、自分で調達できない額ではありません。
それなのに、なぜ政宗は借りたのか。
元仙台市博館長の佐藤憲一さんは推測しております。
「幕府のせっかくの申し出を断ることは、幕府への忠誠を疑われるおそれがある、と政宗は判断したのだろう」(14頁・佐藤『伊達政宗と手紙』)
奇抜な行動でお馴染みの政宗さんですが、その実、人心の機微には敏感だったので、おそらく推測の通りなのでしょう。
伊達騒動の時代
江戸時代に入ってから、野望メラメラだったのは政宗くらいと言われています。
が、このとき既に死期を感じとるような時期でもあり、こう考えても不思議ではありませんでした。
「もう勝負するところではないな。むしろ、幕府に借りをつくるほうが戦略的にいいだろう」
なお、この借金は四代藩主・伊達綱村(つなむら)(1659-1719)の時代に完済され、「借金の証文」も無事、幕府から仙台藩へ戻されました。
伊達綱村の時代には、危うく御家取り潰しとでも言うべき【伊達騒動】があった時代です。
政宗さんも天国からヒヤヒヤ眺めていたかもしれませんね。
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川和二十六・記
※銀の現在価値の換算は「江戸時代の物価表」(→link)を参考にしました。