織田家と激しく対立し、幾度も信長をピンチに陥れた浅井長政と朝倉義景。
しかし天正元年(1573年)。
武田信玄の死もあり、東からのプレッシャーが激減した信長があらためて攻め込んでいくと、浅井も朝倉も滅びてしまいます。
浅井の領国だった北近江は、主に豊臣秀吉らに任され統治が進んでいくのですが……問題は越前でした。
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越前の守護代・桂田長俊(=前波吉継)
天正二年(1574年)1月19日、越前からの急報が信長に届きました。
「越前の守護代・桂田長俊(=前波吉継)が、地侍たちに追い詰められて自害した」
長俊は元々朝倉氏の家臣で、織田信長が越前を攻めた際に降り、道案内役を務めました。
その褒美として、朝倉氏滅亡後の守護代を任されていたのですが……。
他にも多くの朝倉家臣が織田家に降伏しており、彼らから見れば、長俊だけが頭一つ抜けた構図。
それだけでも面白くないのに、長俊が地侍たちに無礼な態度を取り続けていたため、不満が積もり積もって爆発したのでした。
そして、そこからさらなる大問題が勃発します。
このドタバタを好機と見た越前の一向一揆勢が蜂起し、越前が一揆勢の支配権になってしまったのです。
当然、信長としてもこれを放置しておくわけにはいきません。
すかさず丹羽長秀や羽柴秀吉、不破光治などを鎮圧に向かわせました……というところで、信長公記のこの節は終わっているのですが、もう少しこの後の流れを補足しておきましょう。
丹羽長秀は安土城も普請した織田家の重臣「米五郎左」と呼ばれた生涯51年
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朝食に招くと見せかけ魚住を殺した長繁
この件の首謀者は、富田長繁という男です。
彼も元朝倉家臣であり、信長の越前討伐の際に織田家へ降伏し、以降は織田家臣になっておりました。
つまり、長俊とは似たような経歴なのです。
当然、長繁も、織田家で厚遇されている長俊に反感を抱いておりました。
また、長俊も長俊で「富田長繁の待遇は良すぎます」などと信長に訴えていたため、文字通り【犬猿の仲】だったのでしょう。
そして長繁は、長俊に反感を持つ者たちを集めて追い詰め、自害させるのです。
長繁は「この機会に越前一国を手に入れよう」と画策。
北ノ庄の代官らを攻めて追放し、毛屋猪介に同地の守備を任せました。
が、その次の行動が彼の命を縮めました。
同じく旧朝倉家臣だった魚住景固を必要以上に警戒しており、朝食に招くと見せかけ魚住を殺してしまったのです。
さらに翌日には、魚住氏の居城・鳥羽野城にまで攻め込み、一族丸ごと滅ぼしてしまいました。
景固にも一族の者にも特に落ち度はなく、そもそも長繁と対立していたわけでもありません。
また、景固は朝倉氏に仕えていた頃から奉行として働いており、領民からも慕われていました。
そのため、首謀者の長繁は
住民たちからは
→「良いお殿様をいきなりだまし討ちした極悪人」
同志だったはずの旧朝倉家臣たちからは
→「自分だけオイシイ思いをするためなら、味方を殺すことも辞さない奴」
とみなされてしまいます。
背後から味方に撃たれて命を落とす
魚住氏を滅ぼしてしまったたことで、長繁は民衆からも同じ旧朝倉家臣からも警戒され、孤立。そこで長繁は民衆に有利な禁制を出すなどして、支持を得ようとしました。
しかし、逆に
「長繁は信長に朱印状をもらって越前守護になるつもりだ」
という噂を立てられ、さらに警戒されるようになってしまいます。
こうして旧朝倉家臣を始めとした一揆勢は、長繁と手を切って新しい首領を担ぎ上げることにしました。
それが加賀にいた一向宗の僧侶・七里頼周です。
彼は本願寺の命令で加賀一向一揆のリーダーを務めていました。
当然、彼が動くからには多くの一向宗徒も同行するわけで、一気に数が膨れ上がります。
2月には【長繁軍vs一向一揆軍】という構図で本格的合戦へ。
数では一揆軍が有利でしたが、戦の経験では長繁軍が上であり、一進一退という様相になります。
しかし、短期間に何度も突撃を命令する長繁に対し、不満を持つ者が続出。
結果、長繁は戦の最中、背後から味方に撃たれて命を落とすという、悲惨な末路をたどります。
★
一連の出来事により、越前は一向一揆軍の支配する地域となりました。
せっかく新しく押さえた土地なのに、むしろ信長の支配権は狭まる一方。
当時は、武田氏や石山本願寺の動きを警戒しなければならず、越前にまで手を回しきれませんでした。
このため、越前一向一揆の始末は翌年までもつれ込むことになります。
あわせて読みたい
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
『戦国武将合戦事典』(→amazon)