1594年10月7日(文禄3年8月23日)、稀代の大泥棒として有名な石川五右衛門が処刑されました。
歌舞伎での
「絶景かな、絶景かな。春の眺めを値千金とはちいせえちいせえ」
といった口上や、「釜茹で」という類のない処刑方法、はたまたルパンのお仲間としてお馴染みですが、実際はどんな人だったのでしょうか。
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石川五右衛門は伊賀の忍者だった?
泥棒と言えば……江戸時代に有名になった「鼠小僧」がおります。
以下の記事で記されていますように、
江戸の怪盗・鼠小僧次郎吉は義賊なのかコソ泥か? 盗んだ総額は三千両に達す
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こちらは実在した人物で、本人の白状などが記録に残っています。
一方、石川五右衛門の場合は、ほとんど不明といっても過言ではなく、三好家の家臣・石川明石の子供とか、遠江浜松の生まれとか、河内の医家の出自とか、生まれた場所すら不明で、説が割れています。
その中である程度筋が通っているのかな?と思えるのが二つ。
一つは、伊賀忍者の出身というものです。
このときの経歴が凄まじく、
【師匠である百地三太夫の奥さんを寝取った上に、愛妾を殺してトンズラ→盗賊になった】
という……昼ドラというか火サスですね。
大名家の子孫だった可能性も
もう一つがこちら。
【豊臣秀吉に滅ぼされた大名家の家臣の家に生まれ育ち、長じてから秀吉への恨みを果たすために盗賊になった】
捕まったのは秀吉の寝所に忍び込んだからで、後述の点も考えるとこちらのほうが若干可能性は高いですかね。
このときの狙いは「千鳥の香炉」と呼ばれていた名物でした。
青磁器の本体に鳥の形をしたつまみがついており、現在は名古屋の徳川美術館に収蔵されています。
◆千鳥の香炉/文化遺産オンライン(→link)
この「千鳥が鳴いて、侵入者の存在を知らせた」ので五右衛門は捕まったらしいのですが……寝るときに香を焚くなんてことあるんですかね?
着物に香を焚き染めるとか、純粋に香りを楽しむために焚くことはあったでしょうが、当時はアロマセラピーとかないですし。
伝説をマジメに考えてもしょうがないって?
いや、それもそうなんですけども。
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