最上家

『信長の野望』は歴史知識を上げる?義光の「顔グラ・能力値」に注目

『信長の野望』はただのゲームに非ず。

日本の歴史知識を底上げする娯楽文化だ――。

なんて言うと、大げさなやっちゃな、と思われますかね?

これが結構マジで。

実は私、『信長の野望』&『三国志』をキッカケに歴史にハマり込んでいって、大学では史学科を専攻しました。

本サイトの編集人氏も、16カ国時代の一作目『信長の野望(MSX版)』からコーエーゲームをやり続け、一番好きなシリーズは『太閤立志伝』で剣豪秀吉の全国放浪だと言いますから、こりゃ中々イッちゃってるなぁと。

いえ、我々のような凡人だけじゃないんです。

「歴史があんなに面白いなら、将来、その道へ進もう!」ということで研究者になり、ついには大河ドラマ『真田丸』の時代考証まで担当した先生もおります。

ゲームはバカになる――そう言われ続けた子供たちが大人になり、自由に歴史を語れるようになりました。

今なら胸を張って言えるんだ。

ゲームは歴史知識を上げる!

楽しんでこそ学問の入口じゃないか!

ということで今回は『信長の野望』能力値に見る武将評価の変遷を追ってみたいと思います。

主な題材とするのは何かと誤解多き戦国大名最上義光です。

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能力値はなぜ変わるのだろう?

『信長の野望』は現在、実に15タイトルをリリース。

長い時間をかけてシステムやグラフィックが変化していきました。

他のゲームならば、技術力の向上や世間の流行を取り入れ、変化してゆくもの。

しかし、コーエーテクモの歴史ゲームはそれだけにはとどまりません。膨大な登場数を誇る武将の、ありとあらゆる要素が見直されています。

そのせいなのか、最近はこんな声もあるほど。

「自治体だかファンに配慮しているのかわからないけど。どの武将も、能力値といい顔グラといい、インフレ気味じゃないの?」

なるほど。
確かに大幅な変化が見られるものもあり、その筆頭に挙げられるのが、山形県の誇る英雄・最上義光でしょう。

最新作では、あの伊達政宗の総合能力値を上回ったほど。

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さすがに政宗を上回るってどうなのよ?

山形県民が必死に運動でもしたの?

なんて思われてしまうかもしれませんが、果たして単純に批判するだけでよいのでしょうか。

いえいえ、違いますよ。

妥当な答えはこれ。

【最新の研究結果を反映した】

そういうことなのです!

 

最上義光の評価は変動が激しい

最上義光は、かなり特殊な道をたどってきた武将。

よくわからない理由で、その評価が乱高下してきました。

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江戸時代ではなく、昭和になってから評価が下落したという、極めて珍しい人物です。

歴史上の人物評価が変動することは特段珍しくはありませんが、ここまで激しい変貌を遂げた人は中々おりません。

しかも義光に限っていえば、能力値の向上は適正とも言えます。

黒い時代が長すぎたのです……。

 

「ギリニ」ってなすて!

義光がネットで呼ばれたあだ名は、現在では「鮭様」。

しかし、かつては「ギリニ」でした。

字面からして、なんだか良い雰囲気を感じないでしょう?

というのも「ギリニ」とは、『信長の野望』において「義理」という能力値が「2」だったため。

ワーストワンの松永久秀「ギリワン」と並んで、ヒール扱いのあだ名でした。

松永久秀の場合も、奸雄伝説は長いものがありました。

当時の織田信長すら、そう扱っていたとされるほどです。

「東大寺の大仏殿でキャンプファイアー!」

「主君殺し!」(二度)

「そして平蜘蛛自爆でヒャッハー!」

久秀についての「ギリワン」はきちんと理由もあり、ヒールこそが生きる道、言わば火を噴くレスラー路線だったわけです。

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しかし、義光は違います。

Q:寺社仏閣を燃やしましたか?

A:いいえ。『奥の細道』での山寺立石寺はじめ、保護につとめました。比叡山延暦寺の法灯が消えた時も、最上家で保存していた火で復活したほど!

Q:主君を殺し、裏切りましたか?

A:いいえ! むしろ慶長大地震では、恩義ある徳川家康の安否確認に駆けつけ、「もがみんって律儀だね♪」と言われたほどです

Q:平蜘蛛自決みたいな死に方ですか?

A:死を悟り家康に面会してから、穏やかな天寿を全うしています。むしろ文化財破壊に定評があるのは、甥・伊達政宗です!

撫で斬りしない。

降伏武将を受け入れる。

善政を敷く。

他国の武将からもリスペクトされる。

山形人は、そう主張したかった!

しかし、

「伊達政宗をいじめた奴だよね」

「言うてもギリニじゃん」

と返される、そんな辛い日々が続いたのです。

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