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「抱え相撲」の伝統は江戸時代以降も

江戸時代以降、太平の世が訪れると、「武家相撲」は下火となりました。

その代わりに人気が出たのは「勧進相撲」。寺社仏閣が修繕費用を集めるという名目で行われた相撲大会ですね。

幕府は、相撲興行に伴う騒擾を懸念して、取り締まろうとすらします。

江戸幕府のこうした姿勢は、織田信長とはかけ離れて見えます。

とはいえ、武家が相撲から遠ざかったとは言えません。

戦国時代から江戸時代にかけて、力自慢の相撲取りを大名家が抱えることを「抱え相撲」と呼びました。

江戸時代前期まで、抱え相撲は武芸奨励という名目でした。

そのため、自国出身の相撲取りを抱えていました。

しかしだんだんと時代が下るにつれ、優秀な力士を抱えることこそが大名家のステータスシンボルと化したのです。

そうなると、出身地はもはや構わなくなり、強い相撲取りがいると聞きつければ、他国からもスカウトしてくるようになりました。

ときには莫大な金を積み上げて、他藩から引き抜くことすらあったとか。

こうした相撲取りの移籍スキャンダルは、江戸っ子にとって格好の噂話の種となりました。

江戸時代の相撲絵/Wikipediaより引用

 

強い力士を抱えたい!その原点は信長さん

実利よりもステータスシンボルと化した抱え相撲は、無駄なうえに結構な維持費もかかるものです。

藩の財政難の際には真っ先に削減対象となりましたし、寛政の改革でも槍玉にあげられました。

それでも、抱え相撲を辞めたくない大名家はあったのです。

将軍が見る上覧相撲で、自分の家が抱える相撲取りが勝利を収めること。

これぞまさに抱え相撲を持つ藩にとって名誉なことでした。

むろん、こうした状況は相撲取り側にとっても、メリットがあります。

華々しい活躍で大名家に召し抱えでもされれば、士分に取り立てられるのです。苗字帯刀もできるとあって、憧れでした。

幕末の人気相撲取り・陣幕久五郎は、藩の間で争奪戦が繰り広げられました/wikipediaより引用

考えてみれば、この「抱え相撲」の元祖も織田信長と言えるのではないでしょうか。

「抱え相撲」は、江戸幕府と大名家の終焉とともに、終わりを告げました。

そのため相撲の歴史ではあまり重視されてはいませんが、ユニークな制度としてなかなか興味深いものです。

大名ならば相撲を鍛錬として嗜むだけではなく、強い相撲取りも抱えたい――そんな信長の発想は斬新でユニークなものであったのです。

なお、相撲そのものの歴史(ならびにモンゴル相撲の歴史)につきましては、以下の記事をご覧ください。

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文:小檜山青

【参考文献】
『相撲 (ものと人間の文化史)』(→amazon

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