信長の皇位簒奪説

正親町天皇と織田信長/wikipediaより引用

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信長は自らが天皇になろうとしていた? 皇位簒奪説4つの根拠を検証

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信長の皇位簒奪
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根拠1 征夷大将軍

「信長は征夷大将軍に任命されることを望んだが、正親町天皇がそれを拒絶した」ですが、そもそも征夷大将軍に任命されることを望んでいたこと自体が間違いとされています。

というのも信長は右近衛大将や右大臣に任命され、それを辞任した後、今度は朝廷から

・関白
・太政大臣
・征夷大将軍

を提示されておりました。

上記の三職については信長が本心を明かす前に【本能寺の変】が勃発し、何ら返答はありません。

本能寺の変
なぜ光秀は信長を裏切ったか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説は

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いずれにせよ信長から望んだことではなく、むしろ朝廷から打診しているほどで、一つ目の根拠は消えました。では2つ目「天皇の譲位」を見てみますと……。

 

根拠2 天皇の譲位

「信長は任官を拒んだ正親町を譲位させようと画策したが拒んだ」

これはどうでしょう。何だか、もっともらしく聞こえますよね。

「信長が正親町へ譲位を要請した」といわれると、高圧的な信長が、自分にとって都合の悪くなった正親町を更迭するように仕向けた、と考えがちです。

はたして、このような認識は正しいのでしょうか。

このことを解く鍵として、「譲位」について正しい認識が必要となります。

実は皇室にとって、譲位が実現すれば後土御門天皇以来およそ100年ぶりのこと。非常にめでたいことであり、喜ぶべき出来事なのです。

つまり、信長が譲位を強要したというのは誤りで、実は正親町や皇室全体が譲位したくてしょうがなかった、というのが事実だったのです。2つ目も消えましたね。

 

根拠3 蘭奢待

「天下の名香「蘭奢待」(らんじゃたい)の切り取りを正親町に強引に認めさせた」です。

名香「蘭奢待」については補足が必要です。

日本一すばらしい香りのする香木といわれているもので、奈良時代以来、東大氏の正倉院に伝来しています。

長さ156センチほど。

ノコギリで3センチ前後切り取った跡が残っています。

蘭奢待の字の中には「東大寺」の3字が隠れており、別名「東大寺」ともいい、歴史上、この香りを楽しむことができた人物は、足利義政織田信長明治天皇などのビッグネームです。

足利義政は室町幕府第8代将軍。銀閣寺を造ったことで有名ですね。

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明治天皇は、大日本帝国の君主。二人とも、超のつくビックネームです。

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こうしてみると、信長は、この蘭奢待そのものの香りを楽しむことを目的としたのではなく、「わたしこそ、天下の覇者なんだぞ」と意思表示をして権威を示したかった、というのが妥当な解釈でしょう。

蘭奢待はその時々の政界ナンバー1の人物のみが体現できたもので、香りをかぐという行為により、自分の権威の高さを強調することがねらいだったのです。

しかし、このことが信長が皇位を狙っていた根拠になるかといえば、別問題。

信長の皇位簒奪の根拠とは言い難い。

なお、蘭奢待と信長についての詳細は以下の記事にもございますので、よろしければ併せてご覧ください(記事末にもリンクあります)。

蘭奢待
信長がついに手にした「蘭奢待」東大寺正倉院にある天下の名木をどう楽しんだ?

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では最後に「京都御馬揃え」と「実はしたたかだった正親町天皇」を見てみましょう。

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