清玉上人

京都の阿弥陀寺/wikipediaより引用

織田家

信長の遺体は清玉上人が阿弥陀寺で埋葬?本能寺もう一つのミステリー

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「葬儀と墓所は私どもで承ります」と請け合い、清玉上人は火葬が終わった後の骨を阿弥陀寺へ持ち帰りました。

火葬を行っていた武士たちは、その後、信長の後を追ったとか。明智軍へ挑んでいったとか。話は混乱しています。

清玉上人は信長だけでなく、織田家全体に大きな恩を感じていたようで、本能寺の変で亡くなった他の武士たちも弔ったといわれています。

その中には、森蘭丸(成利)ら森家の三兄弟と、信長の跡取りである織田信忠も含まれていました。

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信忠は二条御所を明智軍に取り囲まれ、自刃しています。

ゆえに清玉上人が信長の遺骨を阿弥陀寺に運んでから、もう一度二条御所へ行ったのか、別の僧侶か武士に頼んで運んできてもらったのか……その辺は不明です。

この説で行くと「明智光秀が信長の遺体を探しても見つからなかったのは、清玉上人たちが素早く火葬を行ったから」ということになりますね。そして……。

 


秀吉は阿弥陀寺を処分した?

結局、信長の遺体を見つけることができなかった光秀。

中国大返しで思いのほか早く畿内へやってきた豊臣秀吉に追われ、山崎の戦いで惨敗を喫します。

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程なくして、噂を聞きつけた秀吉が阿弥陀寺へやってきました。

明智光秀を討ち取った武功に加え、自分が喪主となって信長の葬儀を大々的に執り行わなければ、名実ともに信長の後継者としてアピールできる可能性が出てきます。

しかし、清玉上人はこれに真っ向から立ち向かいました。

「私共のほうでご葬儀は執り行いました。秀吉殿が改めてご葬儀をなさるには及びません」

秀吉は法要料などを献じて取り込もうとしましたが、清玉上人はこれも辞退。

さすがは信長や正親町天皇が帰依した僧侶ですね。

秀吉は激怒しながら諦め、大徳寺で葬儀を執り行いました。

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そして天下人になった後は、阿弥陀寺の所領を減らしたともいいます。

これが本当だったら小者すぎですが、実際その後の阿弥陀寺は、決してラクとはいえない状況になりました。

江戸時代になってから、森家の末弟である森忠政が津山藩に封じられた後、毎年6月2日に法要を営んでいたようですので、多少は持ち直したと思われます。

信長のためというよりは、忠政の兄たちのためだったかもしれませんが。

忠政の義理の孫の代に百年忌も行っていますから、それなりに長く付き合っていた様子です。

 


大正時代の宮内庁は正式に認定

しかし、二度火災に遭って信長の遺品類がほとんど焼けてしまい、森家もその後改易されたため、阿弥陀寺はまたしても困窮してしまいます。

大正時代に宮内庁の調査で

【阿弥陀寺の信長公墓所は正式な廟所である】

と認められて現在に至っているので、江戸中期~明治時代の間もどこかから庇護を受けていたとは考えられます。

さて、清玉上人が信長を弔ったことに始まるこの一連の話、皆さんはどう思われます?

一番の疑問は以下の点でしょう。

◆明智軍に取り囲まれた中で信長の遺体を外へ持ち出し、焼くことなどできるのか?

敵の手に渡らぬよう、信長の家臣が手伝ったとされていますが、大軍に囲まれた状況でそんな余裕などないように思えます。

もちろん混乱の最中ですから、何があっても不思議ではありません。

この記録も本能寺の変の直後に記され、秀吉など近い時代の人々の認識などから、それなりに信憑性があるとの評価もあるようです。

その一方で、原書は一度焼失して書き直されて、史料的価値は薄いとの見立てもあります。

『史籍集覧 信長公阿弥陀寺由緒之記録』/国立国会図書館蔵

うーーーーーん、歯切れ悪くてすみません。

まぁ、あくまで「そういった話もあるんだね」ぐらいで考えておくのが良さそうです。

いずれにせよ、光秀の動機と併せて、信長の遺体論争は、今後いつまでも我々を悶々とさせてくれそうですね。


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【参考】
国史大辞典
『史籍集覧 信長公阿弥陀寺由緒之記録』
京都観光NAVI(→link
本能寺の変/wikipedia
阿弥陀寺_(京都市上京区)/wikipedia

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