幕末ニッポンにおいて、江戸幕府が警戒していた諸外国は米英……ではなくロシアでした。
ペリーがやってくる何十年も前からそのプレッシャーは続いており、例えば元文4年(1739年)に姿を表したナゾの異国船は
「元文の黒船」
などと呼ばれ、東北諸藩や幕府も脅威に感じていたのです。
なぜならその正体は、日本と国境を接するロシアだからでした。
いざとなればスグにでも来日できる距離にあるヨーロッパ。
仙台藩士である工藤平助の『赤蝦夷風説考』や、林子平の『三国通覧図説』でロシア脅威論は語られ、そして実際に事件は起きます。
文化8年(1811年)6月4日に起きたゴローニン事件です。
ロシア軍艦ディアナ号のゴローニン艦長を松前奉行が捕らえ、日本に抑留すること実に2年と3ヶ月。
如何にして始まり、そして決着が付けられたのか?
マンガ『日本史ブギウギ』第203話スタート!
行け!ゴローニン

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副長リコルド

人質交換

交渉人

決着

日本幽囚記

◆ゴローニンの記した『日本幽囚記』は欧州で広く読まれることになり、ヨーロッパの人々にディープな日本人論を広めました。
ゴローニンには中々の文才があったようです。
種痘

◆牛の牛痘膿を利用して、人が種痘の免疫を獲得する。
【牛痘法】を成功させたのが英国エドワード・ジェンナーでした(1798年に発表)。
それがマカオに到達したのは1805年。
残念なことに日本へ入ってきたのは、それから44年も後になる1849年です。
大坂の緒方洪庵らの努力もあって1858年から公的に認められ、江戸でも始まります。
ゴローニン事件が1811年のことでしたから、一刻でも早く広まって欲しかったんですけど……。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
【参考】
国史大辞典
ほか
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!







