天正3年(1575年)に織田徳川と武田が、真正面からぶつかった【長篠の戦い】。
長篠の戦いで信長の戦術眼が鬼当たり!勝因は鉄砲ではなく天然の要害だった?
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鉄砲隊や別働隊を巧みに使い、武田騎馬隊を自陣へ誘い込んだ信長の戦術眼が鬼アタリします。
武田四天王の山県昌景や馬場信春、あるいは真田兄弟など、主要人物たちを完膚なきまでに倒したのです!
しかし……。
それは同時に【第三次信長包囲網】へと繋がる薄氷の一歩でもありました。
足利義昭の呼びかけもあり、この戦いは石山本願寺だけでなく、毛利家、上杉家を中心とした諸大名へ拡大。
なぜ足利義昭は信長と共に上洛しながら一人京を追い出されたのか 流浪の生涯を辿る
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マンガ「日本史ブギウギ」第165話のスタートです!!
本願寺挙兵
◆本願寺勢力とは元亀元年(1570年)から激しい戦いが始まっておりました。
特に同年から多大な被害を受けてきたのが長島一向一揆。信長の親族や家臣たちが数多くなくなっています。
信長が「長島一向一揆」で敵対した宗徒2万人を虐殺~なぜ徹底的に潰したのか
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そんな因縁の相手・石山本願寺とは和睦や戦を繰り返し、この天正3年(1576年)に蜂起したときは、すぐに織田家も包囲に取り掛かりました。しかし……。
雑賀衆
◆和歌山県に本拠地を持ち、傭兵などで戦国期に多大な影響を与えたのが【雑賀衆】です。
塙直政は討ち取られ、明智光秀も大ピンチに陥ります。
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
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信長流
◆後続の味方を待ちきれず少数で大軍を打ち崩した織田信長。
まるでマンガですが、実際に、自ら先頭に立って戦うシーンが見られるのが信長さんです。
著名なところでは【桶狭間の戦い】もその一つですね。味方(敵を欺くため?)には籠城と思わせておき、今川軍が動くや突如城を飛び出し熱田神宮へ。
桶狭間の戦い 信長の勝利は必然だったのか『信長公記』にはどう書かれている?
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そこで味方が到着するのを待ち、今川義元へ襲いかかり、史上最大の下剋上を成功させたわけです。
なぜ今川義元は海道一の弓取りと呼ばれる?42歳で散った生涯とは
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そして今回もまた……。
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