絵・小久ヒロ

信長公記 戦国諸家

信長を裏切り殺された「久秀の孫二人」があまりに不憫で……信長公記149話

天正五年(1577年)8月17日。

本願寺攻略のため天王寺砦にいた松永久秀・松永久通父子が突如、織田家に対して謀反を起こしました。

二人は本拠地の信貴山城(生駒郡)へ立て籠もったのです。

 

裏切りの久秀に対し「なにか不満があるのなら申せ」

大河ドラマ『麒麟がくる』では吉田鋼太郎さんが演じ、注目度の高い松永久秀。

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余計な兵の損耗を避けたかったのでしょう。

家臣や身内にかなり甘いところのある信長ですので、松井友閑を通して久秀に謀反の理由を尋ねます。

「なにか不満があるのなら申せ」

謀反を起こしても怒り狂うワケでもなくむしろ優しく諭そうとしております。

対する久秀は、出頭もせず返事もせず……。

このまま放置にしておくのは、さすがに他の武将たちに示しがつきません。

そこで信長は、人質として預かっていた久秀の孫二人を処刑することにしました。

彼らは永原(滋賀県野洲市)の佐久間盛明の下にいたため、家臣の矢部家定と福富秀勝に京都へ連行させ、そこで処分するよう命じます。

と、その前に新しい名前が出てきましたので、簡単に紹介しておきますと……。

佐久間盛明は詳細が不明ながら、織田家の家老である佐久間一族だったようです。盛明の弟が信長の父・織田信秀に仕えていたとされ、家臣の中では年長者だった可能性があります。

矢部家定は武将というより吏僚りりょう(≒官僚)という感じの人で、若い頃から信長を政務面で支えていました。

福富秀勝は馬廻衆の一人で、信長が信忠へ家督を譲ってから、徐々に政務に関する仕事が増えていったようです。

三人とも「身分は高くないが、信長に長く仕えて信用されていた人」という感じですね。

 

「信長公が助命してくださることはないでしょう」

驚くべきは久秀の孫二人でしょう。

まだ13歳と12歳とは思えないほどしっかりとした少年だったのです。

京都に連行されてきた彼らを預かった村井貞勝も哀れに思い、助命を勧めました。

「宮中へ駆け込み、助命の取りなしをお願いするとよいでしょう。そのためにも、髪と衣服を整えておきなさい」

しかし二人とも状況をよく理解していたのか。

「信長公が助命してくださることはないでしょう」と消極的だったそうです。

皮肉なものですが、とても賢い子供たちだったのでしょうね。

また、貞勝が「親兄弟に手紙を書きなさい」と言ったときも、驚くほど冷静な答えが返ってきます。
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