細川忠興/wikipediaより引用

細川家 信長公記

片岡城の戦い(織田vs松永)で忠興と昌興兄弟が大活躍|信長公記第150話

2020/06/17

大和の実力者・松永久秀――。

前回(149話)、この久秀が信長に謀反を起こしたことに注目しましたが、その直後、当時の織田家が恐れていたであろうことが現実となりました。

久秀に続く裏切り者が現れたのです。

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信貴山城と連携されたら厄介だ

松永久秀に続いて信長に挙兵したのは森秀光(正友)と海老名勝正(友清)。

両名は片岡城(北葛城郡上牧町)に立てこもりました。

この片岡城と、久秀父子のいる信貴山城(生駒郡)は、現代の道路で10Kmほどしか離れていません。連携されると、少々面倒なことになります。

そこで、織田軍は先に片岡城を攻略することにしました。

攻撃を担当した武将は細川藤孝・細川忠興・細川昌興(興元)らの父子に始まり、明智光秀、筒井順慶、そして山城衆。

いずれも本能寺の変や光秀と関わり深い方たちばかりですね。

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10代半ばの忠興・昌興兄弟が一番乗り!

彼らは天正五年(1577年)10月1日に城へ攻め寄りました。

中でも、まだ10代半ばの忠興・昌興の兄弟が一番乗りだったといいます。

細川忠興はこの年の【紀州征伐】、昌興はこの【片岡城の戦い】が初陣だったそうです。さすが名門だけあって、二人とも勇敢ですね。

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余談ですが、このとき昌興が用いたという甲冑が、後年彼の領地となった栃木県芳賀郡の八雲神社に現存しているそうで。

武将が用いたとされる武器防具は数多くありますが、初陣時のものはなかなか珍しいのではないでしょうか。

他の例だと、徳川家康が初陣時に身に着けたとされる「金溜塗具足」が久能山東照宮博物館(静岡市駿河区)に収蔵されていますね。

閑話休題。

忠興・昌興に続き、片岡城へ攻め寄った織田軍は、あっという間に天守へ詰め寄りました。

城方は鉄砲や弓で応戦しましたが、矢玉には限りがあります。撃ち尽くした後は打って出るしかなく、やはり数に押され、秀光と勝正を含む150人ほどが討死しました。

 

信長から感状を与えられた

もちろん、織田軍も無傷では済みませんでした。

藤孝の部下30余名、光秀の部下20余名が討死したといいます。

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ただし、首尾よく前哨戦を終えたことで、信長の機嫌は上々だったようです。

特に少年ながらに一番乗りをした忠興・昌興兄弟の働きに感心し、感状まで与えたとか。

感状というのは、現代でいう表彰状のようなものであり、功績に対する記録も兼ねていました。

「いつの戦でどのような功績を挙げ、誰に認められたか?」ということを示す書面ですので、もし他家へ仕えることになったとき、感状を持っていればセールスポイントになりました。

まぁ、ある種の職務経歴書ですね。

忠興・昌興は自ら主君替えをしたことはないので、単純に名誉として受けたと思われます。

彼らは1560年代生まれですから、1534年生まれの信長にとっては当時の基準だと孫に近い世代です。

感状を与えてやる気を引き出すことで、末永く「織田氏へ忠実に仕えたい」と思わせたかったのかもしれません。

なお、『信長公記』では触れられませんが、この戦の翌年、忠興は信長の意向で明智光秀の娘・明智たま(細川ガラシャ)と結婚しています。

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おそらくこの戦の時点で、信長は忠興を「将来織田氏を支えうる若者の一人」とみなしていたのでしょう。

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【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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