絵・小久ヒロ

戦国諸家 信長公記

信長を裏切り殺された「久秀の孫二人」があまりに不憫|信長公記第149話

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殺された久秀の孫
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賢く冷静な少年たちは六条河原で斬られた

手紙を勧められた久秀の孫らは答えました。

「このようないきさつでは、親へ手紙を書いても意味がないでしょう」

武家の子息らしく幼い頃から教育されてきたのでしょうか。

完全に悟りきった様子なのです。

自身の助命嘆願もせず、親への手紙も残さず。しかし、これまで世話をしてくれた佐久間盛明に対しては、

「ご親切にしていただき、ありがとうございました」

とお礼の手紙を書いたのだとか……。

二人は抵抗することなく、上京・一条の辻で車に載せられ、六条河原に連行されました。

見物人が集まる中、二人は落ち着いた様子で西に向かって手を合わせ、念仏を唱えてから斬られたといいます。

いじらしい様子に、見物人も涙をこぼしていたようです。

 


西にはほうき星

孫二人の処刑後も、久秀の態度が変わることはありませんでした。

まぁ、謀反をした時点で「人質がどうなるか」わかっているはずですので、当然といえば当然でもあります。

信長ももはや我慢できず、軍事行動を起こします。

息子の織田信忠に出陣させたのですね。

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信忠は9月27日、松永討伐のため出陣。

この日は飛騨の蜂屋頼隆のもとに泊まり、翌日は安土の丹羽長秀の下へ宿泊しました。

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29日も安土に駐留していますので、兵の準備を整えるとともに、老練な彼らに何か相談したのかもしれません。

29日の部分には、また別のことも書かれています。

この日の午後8時頃、西にほうき星が見えたのだとか。

 


「弾正星」観測記録上で最大の彗星か?

“西のほうき星”の正体は、西洋の記録にもある、非常に明るい彗星でした。

観測記録上で最大の彗星ではないか? そう目されるものの一つで、絶対等級-3と推測されています。

星の明るさを示す単位には絶対等級と視等級がありますが、いずれも「数が小さいほど明るい」という表し方。

また、彗星の場合は光が散らばった状態になりますので、「光が一ヶ所に集まっていたら」と仮定して決めているのだそうで。

そのため1557年当時の彗星と同じくらいの彗星が現代で見られた場合、「絶対等級で表される数字の割には暗く見える」と考えられます。

とはいえ、現代の全天で最も明るい恒星であるシリウスの絶対等級が1.42であることを考えると、このときの彗星はかなり明るいものだったのでしょうね。

当時の日本人にも、この彗星の印象は非常に強く残ったようです。

この後、松永久秀がたどった運命と結びつけて記憶され、彼の官職だった”弾正”と合わせて「弾正星」と呼ばれたこともあるとか。

彗星には多くの場合発見者の名前がつきますので、歴史上の人物の名前で呼ばれるのはかなり珍しいケースです。

また、彗星は古来「凶事の前兆」とされます。

なぜ久秀と結び付けられたのか、その理由は今後の本連載で。

📚 『信長公記』連載まとめ

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド


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【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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