豊島泰経・石神井城の石碑

石神井城の石碑

戦国諸家

戦国時代の坂東武者・豊島泰経! 道灌と戦い負け続けた執念が熱い

あけましておめでとうございます!

れきしクンこと、長谷川ヨシテルでございます。

一般的にはマイナーかもだけども、ある地域ではメジャーな武将たちをピックアップしていく当連載。

今回ご紹介いたしますのは、東京都練馬区から「豊島泰経」さん!

誰それ?という声が聞こえそうですが、戦国時代の初期に活躍された方で、なかなか魅力的であります。

早速、見て参りましょう!

 


記録上は「勘解由左衛門尉」さん

豊島泰経さんが活躍したのは室町時代の中頃(1400年代半ば〜後半)あたり。

生没年はハッキリ分かっていません。

同時代の人物には、戦国大名の先駆け的な存在として有名な「北条早雲」などがいます。

※以下は北条早雲の生涯まとめ記事となります

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つまり戦国三英傑(信長、秀吉、家康)全盛の時代からは100年ほど前のお方ということになりますね。

名前は「泰経」で知られていますが、これは江戸時代以降の史料で定着したもので、当時の史料にあるのは

「勘解由左衛門尉(かげゆさえもんのじょう)」

です。ちょっと長い(笑)。

ただしこれは官職名であり、実名(諱)は不明。

さすがに豊島勘解由左衛門尉さんと呼ぶと長いので、便宜上「豊島泰経」で統一させていただきます。

さて、豊島泰経さんが誕生したのは東京都練馬区の「石神井城」でした。

豊島家の当主が居城としたお城です。

現在、城跡は「石神井公園」の一部になり、主郭(本丸)周りの堀や土塁や曲輪がシッカリと残されています。

遺構を保存するためのフェンスが張られていますが、外から見てもまぁ見事なものです。

石神井城の土塁・空堀

 


平将門の流れを汲む秩父一族の出身

豊島泰経さんの実家である「豊島家」は、なかなかの名家です。

「秩父氏」という一族をご存知でしょうか?

あの平将門の孫にあたる平将恒が秩父(埼玉県秩父市)を拠点にして、地名を名字にしたことに始まる一族で、平安時代末期には武蔵国(東京都&埼玉県)一円に勢力を伸ばした超強力な武士団です。

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秩父氏の一族は、武蔵国の様々な場所に館を構え、それぞれの地名を名字とした分家を創りました。

例えばどんな家があるかというと?

江戸郷(東京都港区)の「江戸家」※江戸氏館は後に江戸城の原型になった

畠山郷(埼玉県深谷市)の「畠山家」※大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で中川大志さんが演じた畠山重忠を輩出

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その中で、豊島郡(東京都練馬区&豊島区など)を拠点としたのが豊島家だったのです。

当初の拠点は「平塚城」(東京都北区)だったと言われていて、現在は「平塚神社」となっています。

平塚城(平塚神社)

あっ、平塚城の近くには、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が桜を植えて名所となり、明治から昭和にかけては渋沢栄一の邸宅があった「飛鳥山公園」があります。

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実はこちらも「飛鳥山城」という城跡。

豊島家の一族(滝野川家)が築いたものだそうですので、機会がございましたら併せてご覧ください!

飛鳥山公園

 


長尾景春の乱に呼応して

さてさて、そんな名家・豊島家は室町時代に入っても勢力をキープし続けます。

最初は鎌倉公方・足利家の家臣となり、その足利家が関東管領の両上杉家(山内上杉家&扇谷上杉家)によって古河(茨城県古河市)に追放された後は、山内上杉家の家臣となったようです。

このあたりの足利と上杉のドタバタ劇は「長野業正」の回をご参照くださいませ!

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さぁ!
今回の主役である豊島泰経さんが、歴史上の表舞台にするのは“ある戦い”において、です。

文明8年(1476年)に勃発した【長尾景春の乱】。

関東戦国ファンにはよく知られる戦いであり、長尾景春――この人もまた面白い生涯を送った武将です。

山内上杉家の家宰(ナンバー2)だった長尾家に生まれて、次期当主と見込まれていたものの、山内上杉家のトップ(上杉顕定)の鶴の一声で長尾景春の叔父(長尾忠景)が当主に。

不満を抱いた長尾景春が「鉢形城」(埼玉県寄居町)で主家・山内上杉家に対して反旗を翻した。

これが長尾景春の乱です。

鉢形城

ただの小さな反乱のようで、実はそうではありません。

長尾景春はかなりのやり手。

両上杉家によって鎌倉を追放され「古河公方」と呼ばれていた足利家と手を組み、両上杉家と武蔵国や相模国(神奈川県)の勢力を次々に味方に付けたのです。

そして、この大謀反に参戦したキーマンが名家・豊島家の当主の豊島泰経さんだったのです!

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