帰雲城

帰雲城趾碑/photo by NALA Wiki (talk) Wikipediaより引用

戦国諸家

一晩で消えた帰雲城と内ヶ島氏理~戦国期最大クラス天正地震の恐怖

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天正地震と内ヶ島氏理
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飛騨の山中の「帰雲城」が消えた!

帰雲城は岐阜県大野郡にありました。

まずは地図で確認しておきますと……。

石川県との県境近くにあり、奥深い山中にあることが想像できますね。

そんなエリアに建っていた帰雲城は、天正地震により、城主の内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ)も領民も、何もかも全部まとめて土の下へ。

助かったのは、たまたま旅に出ていたごく数名だったそうで……旅から帰ってきて城も家もなくなってるとか、ほんと震えるどころの騒ぎじゃなかったでしょう。

実際、この地震で内ヶ島一族は滅亡しております。

「埋まっただけなら発掘調査できるのでは?」

そうとも思えますが、土砂崩れと川の氾濫が両方起きたとされ、城の正確な位置も推定であり、今もハッキリしておりません。

なんせ土砂崩れの起きた場所が一番良く見える位置に「帰雲城跡」の碑が立っているだけで、そこで遺構や人骨などが見つかったわけではないのです。

白川村のHPなどに掲載されておりますが、何というか、……すごく、絶(句する光)景です……。

一晩で消えた帰雲城の跡とされる場所/白川村役場HPより

流石に少しずつ木が生えてきているものの、ほとんどは削れた土がむき出し。

これだけの土砂が流されてきたら、もう人の存在など無力でしかありません。

しかし、妙なもんで埋蔵金伝説だけが残っていたりします。

 

金山を隠し持っていたんでは?

上記の地図をご覧のとおり、帰雲城があったエリアは飛騨の奥深い山脈エリアです。

周りに、お金を産みそうな産業はありません。

にもかかわらずこんなところに城を建てたことから「実は、金山を持ってて、それでやりくりしてたんじゃね?」と勘ぐられたんですね。

それで埋蔵金伝説が生まれ、多くのロマンティストの関心を集めました。

実際に発掘をしている人もいるようですが、あまりにも手がかりが少なく費用もかかるため、まだ決定的なものは見つかっていないようです。

金より先に人骨が出てきたり?

シュリーマン(トロイア遺跡を見つけたはいいけどボロボロにした人)みたいな人が出てくれば見つかるかもしれませんが、いつになるやら。

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帰雲城という名前は背後の帰雲山からとったもので、「流れる雲はこの山頂に行き着くと、元来た空に帰る」という伝説が大元だそうです。城が帰ったのは土でしたけど。

ちなみに帰雲城は、世界遺産で有名な白川郷のごく近くにあります。

日本で一番美しい村と、日本で(多分)唯一埋もれた城が同じ範囲にあるというのは何だか不思議ですね。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon
歴史地震研究会(→link
白川郷(→link
朝日新聞(→link

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