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【天正地震と内ヶ島氏理】
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飛騨の山中の「帰雲城」が消えた!
帰雲城は岐阜県大野郡にありました。
まずは地図で確認しておきますと……。
石川県との県境近くにあり、奥深い山中にあることが想像できますね。
そんなエリアに建っていた帰雲城は、天正地震により、城主の内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ)も領民も、何もかも全部まとめて土の下へ。
助かったのは、たまたま旅に出ていたごく数名だったそうで……旅から帰ってきて城も家もなくなってるとか、ほんと震えるどころの騒ぎじゃなかったでしょう。
実際、この地震で内ヶ島一族は滅亡しております。
「埋まっただけなら発掘調査できるのでは?」
そうとも思えますが、土砂崩れと川の氾濫が両方起きたとされ、城の正確な位置も推定であり、今もハッキリしておりません。
なんせ土砂崩れの起きた場所が一番良く見える位置に「帰雲城跡」の碑が立っているだけで、そこで遺構や人骨などが見つかったわけではないのです。
白川村のHPなどに掲載されておりますが、何というか、……すごく、絶(句する光)景です……。
流石に少しずつ木が生えてきているものの、ほとんどは削れた土がむき出し。
これだけの土砂が流されてきたら、もう人の存在など無力でしかありません。
しかし、妙なもんで埋蔵金伝説だけが残っていたりします。
金山を隠し持っていたんでは?
上記の地図をご覧のとおり、帰雲城があったエリアは飛騨の奥深い山脈エリアです。
周りに、お金を産みそうな産業はありません。
にもかかわらずこんなところに城を建てたことから「実は、金山を持ってて、それでやりくりしてたんじゃね?」と勘ぐられたんですね。
それで埋蔵金伝説が生まれ、多くのロマンティストの関心を集めました。
実際に発掘をしている人もいるようですが、あまりにも手がかりが少なく費用もかかるため、まだ決定的なものは見つかっていないようです。
金より先に人骨が出てきたり?
シュリーマン(トロイア遺跡を見つけたはいいけどボロボロにした人)みたいな人が出てくれば見つかるかもしれませんが、いつになるやら。
帰雲城という名前は背後の帰雲山からとったもので、「流れる雲はこの山頂に行き着くと、元来た空に帰る」という伝説が大元だそうです。城が帰ったのは土でしたけど。
ちなみに帰雲城は、世界遺産で有名な白川郷のごく近くにあります。
日本で一番美しい村と、日本で(多分)唯一埋もれた城が同じ範囲にあるというのは何だか不思議ですね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon)
歴史地震研究会(→link)
白川郷(→link)
朝日新聞(→link)