豊島泰経・石神井城の石碑

石神井城の石碑

戦国諸家

豊島泰経の生涯|戦国時代の坂東武者が太田道灌と戦い負け続けた執念

2025/01/03

あけましておめでとうございます!

れきしクンこと、長谷川ヨシテルでございます。

一般的にはマイナーかもだけども、ある地域ではメジャーな武将たちをピックアップしていく当連載。

今回ご紹介いたしますのは、東京都練馬区から「豊島泰経」さん!

誰それ?という声が聞こえそうですが、戦国時代の初期に活躍された方で、なかなか魅力的であります。

早速、見て参りましょう!

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド

 

記録上は「勘解由左衛門尉」さん

豊島泰経さんが活躍したのは室町時代の中頃(1400年代半ば〜後半)あたり。

生没年はハッキリ分かっていません。

同時代の人物には、戦国大名の先駆け的な存在として有名な「北条早雲」などがいます。

北条早雲/wikipediaより引用

つまり戦国三英傑(信長、秀吉、家康)全盛の時代からは100年ほど前のお方ということになりますね。

名前は「泰経」で知られていますが、これは江戸時代以降の史料で定着したもので、当時の史料にあるのは

「勘解由左衛門尉(かげゆさえもんのじょう)」

です。ちょっと長い(笑)。

ただしこれは官職名であり、実名(諱)は不明。

さすがに豊島勘解由左衛門尉さんと呼ぶと長いので、便宜上「豊島泰経」で統一させていただきます。

さて、豊島泰経さんが誕生したのは東京都練馬区の「石神井城」でした。

豊島家の当主が居城としたお城です。

現在、城跡は「石神井公園」の一部になり、主郭(本丸)周りの堀や土塁や曲輪がシッカリと残されています。

遺構を保存するためのフェンスが張られていますが、外から見てもまぁ見事なものです。

石神井城の土塁・空堀

 


平将門の流れを汲む秩父一族の出身

豊島泰経さんの実家である「豊島家」は、なかなかの名家です。

「秩父氏」という一族をご存知でしょうか?

あの平将門の孫にあたる平将恒が秩父(埼玉県秩父市)を拠点にして、地名を名字にしたことに始まる一族で、平安時代末期には武蔵国(東京都&埼玉県)一円に勢力を伸ばした超強力な武士団です。

秩父氏の一族は、武蔵国の様々な場所に館を構え、それぞれの地名を名字とした分家を創りました。

例えばどんな家があるかというと?

江戸郷(東京都港区)の「江戸家」※江戸氏館は後に江戸城の原型になった

畠山郷(埼玉県深谷市)の「畠山家」※大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で中川大志さんが演じた畠山重忠を輩出

その中で、豊島郡(東京都練馬区&豊島区など)を拠点としたのが豊島家だったのです。

当初の拠点は「平塚城」(東京都北区)だったと言われていて、現在は「平塚神社」となっています。

平塚城(平塚神社)

あっ、平塚城の近くには、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が桜を植えて名所となり、明治から昭和にかけては渋沢栄一の邸宅があった「飛鳥山公園」があります。

実はこちらも「飛鳥山城」という城跡。

豊島家の一族(滝野川家)が築いたものだそうですので、機会がございましたら併せてご覧ください!

飛鳥山公園

 

長尾景春の乱に呼応して

さてさて、そんな名家・豊島家は室町時代に入っても勢力をキープし続けます。

最初は鎌倉公方・足利家の家臣となり、その足利家が関東管領の両上杉家(山内上杉家&扇谷上杉家)によって古河(茨城県古河市)に追放された後は、山内上杉家の家臣となったようです。

このあたりの足利と上杉のドタバタ劇は、以下「長野業正」の回をご参照くださいませ!

長野業正(長野業政)
長野業正の生涯|信玄を六度も追い返した伝説を持つ上州箕輪城の名将

続きを見る

さぁ!今回の主役である豊島泰経さんが、歴史上の表舞台にするのは“ある戦い”において、です。

文明8年(1476年)に勃発した【長尾景春の乱】。

関東戦国ファンにはよく知られる戦いであり、長尾景春――この人もまた面白い生涯を送った武将です。

山内上杉家の家宰(ナンバー2)だった長尾家に生まれて、次期当主と見込まれていたものの、山内上杉家のトップ(上杉顕定)の鶴の一声で長尾景春の叔父(長尾忠景)が当主に。

不満を抱いた長尾景春が「鉢形城」(埼玉県寄居町)で主家・山内上杉家に対して反旗を翻した。

これが長尾景春の乱です。

鉢形城

ただの小さな反乱のようで、実はそうではありません。

長尾景春はかなりのやり手。

両上杉家によって鎌倉を追放され「古河公方」と呼ばれていた足利家と手を組み、両上杉家と武蔵国や相模国(神奈川県)の勢力を次々に味方に付けたのです。

そして、この大謀反に参戦したキーマンが名家・豊島家の当主の豊島泰経さんだったのです!

 

居城の石神井城で挙兵! 弟も練馬城で!

それにしても、なぜ豊島泰経さんは、このギャンブル的な反乱に応じたのか……。

ハッキリ分かっていないのですが、豊島泰経さんの正室は長尾景春の姉妹で、二人は義兄弟だったとも言われています。

その辺りが謀反参戦の理由だったのでしょうか。

ひょっとすると、新興勢力で領地を脅かす両上杉家に対し、平安時代末期から豊島郡を領する名家のプライドが豊島泰経さんを動かしたのかもしれません。

ともかく豊島泰経さんは居城の石神井城で挙兵!

弟の「豊島泰明」(同じく実名は不明・官職名は「平右衛門尉」)も「練馬城」(東京都練馬区)で挙兵したのです!

ちなみに、練馬城の城跡のほとんどは、現在、遊園地の「としまえん」となっています。

練馬区にあるのに“としま”と名が付いているのは、豊島家の居城だったことに由来しています。

練馬城跡に建てられた「としまえん」

練馬城の堀跡と言われる「どんぶり坂」

練馬城ととしまえんの関係については、拙著『ヘンテコ城めぐり』(→amazon)で詳しくご紹介しております。

是非チェックしてみてください(宣伝ごめんなさい!)。

 


一時は武蔵国を制覇する勢いだった

さて、この豊島泰経さんと長尾景春の謀反ですが……最初はウマいこと行ったんです。

長尾景春によって山内上杉家(上杉顕定)は、領地だった武蔵国北部を追われて上野国(群馬県)に敗走。

武蔵国南部を領地する豊島泰経さんがいますので、反乱軍は武蔵国の多くを手に入れたことになります。

ただ、武蔵国の南部には、相模国(神奈川県)も領地としていた扇谷上杉家の勢力がまだいました。

対戦武将となるのは誰か……それが「江戸城」を築いたことで有名な扇谷上杉家の家宰のアノ「太田道灌」です。

太田道灌/wikipediaより引用

太田道灌は江戸城を拠点に「河越城」(埼玉県川越市)や「岩付城」(埼玉県さいたま市)を支城としていました。

その江戸城と河越城&岩付城の連絡を遮断したのが……そう! 豊島泰経さんです!

河越城

実は豊島泰経さん、自分の領地の豊島郡にグイグイと介入(江戸城があるのも豊島郡)してくる太田道灌のことをよく思っていなかったらしく、それが謀反に加担する理由の1つになったとも言われています。

こうして豊島泰経さんは、当時から名将と名高かった太田道灌と干戈を交えることとなったのです。

 

名将・道灌に大敗 弟も討ち死にしてしまう

兵は拙速を尊ぶ――。

本来であれば、主役である豊島泰経さんが【孫子の兵法】にあるような迅速な攻撃を仕掛けたとしたいところですが、すいません、逆です(笑)。

太田道灌は持ち城を分断する脅威の勢力である豊島泰経さんを攻撃!

まずは練馬城に兵を進め、お城に矢を放ち、城下を焼き払って一旦引き上げました。

この報せを受けた豊島泰経さんは、援軍に向かうため石神井城を出陣。

攻撃を受けた練馬城の弟(豊島泰明)も、合流して太田道灌との合戦に臨みます。

時は文明9年(1477年)4月13日。

両軍は江古田・沼袋(東京都中野区)で激突しました。

世に言う【江古田・沼袋原の戦い】です。

主役である豊島泰経さんが大勝利……と言いたいところですが、これまた結論はその逆です……。

氷川神社に陣を張った太田道灌は、薩摩国(鹿児島県)の島津家が得意とした「釣り野伏」の如く、練馬城を攻撃することで豊島泰経さんを石神井城から誘き出し、野戦で一気に決着を付けるという作戦だったのです。

氷川神社 (中野区沼袋)/photo by Kamemaru2000 wikipediaより引用

この策にまんまとハマってしまった豊島泰経さん。

合戦上手の太田道灌に散々にヤラれ、弟の豊島泰明が討ち死にしてしまうなど大惨敗を喫し、命からがら生き残った家臣たちと共に石神井城に逃げ込みました。

 


道灌への降伏を申し出るが……

謀反の主体である長尾景春を早く鎮めなくてはいけない太田道灌は、豊島泰経さんへの攻撃の手を緩めません。

翌日の4月14日には、ついに石神井城を包囲。

この戦況を受けて豊島泰経さんは、太田道灌への降伏を申し出ます。

降伏の条件は「破城」(お城を破却すること)でしたが、豊島泰経さんは破城を実施せず、太田道灌としても「虚偽の降伏」だと考え、今度は石神井城を総攻撃!

そして4月28日に落城してしまいました。

氷川神社(石神井公園内) 豊島家と石神井城の守護神として城内に祀られた

この総攻撃を受けた豊島泰経さんは「もはや、これまで…」と覚悟を決め、家宝の「黄金のくら」の白馬に乗って、石神井城の崖下の三宝寺池に身を投げて命を絶ちました。

馬と共に沈む豊島泰経さんを見て悲しんだ娘の「照姫」も、父の後を追って身を投げて亡くなります。

三宝寺池

こうして豊島家は滅亡。

その後、三宝寺池からは黄金の鞍と思われる眩い光が現れました。

やがて池のほとりには豊島泰経さんと照姫を供養するための塚が建てられたものの、池から光を見たというウワサや照姫の幽霊を見たというウワサが絶えませんでした。

殿塚(豊島泰経のものと伝わる塚)

姫塚(照姫のものと伝わる塚)

というのは、伝説のお話!!!

豊島泰経さんは死んでいません!

実は照姫の存在も確認されていません。明治29年(1896年)に書かれた小説『照日の松』が元ネタになった架空の人物です。

この伝説がいつからか真実味を増していったようで、明治41年(1908年)には三宝寺に沈む金の鞍を発見するため、地元民が東京都知事に許可を得て捜索を行ったそうです。

あれ?「池の水全部抜く」的なやつだ(笑)!

 

石神井城を脱出するもその後の行方は……

いったい豊島泰経さんはどうなったのか。

なんと、落城前夜の夜陰に紛れて石神井城を脱出。

包囲を切り抜けて、平塚城に逃れています。実にしぶとい!

翌年の文明10年(1478年)に再起を図りますが、再び太田道灌が鎮圧のために出陣すると、平塚城で籠城戦をすることもなく、戦わずして足立郡に敗走しております。

そして驚くことに、それから豊島泰経さんは行方不明……消息が一切分かっていないのです。

一体どこへ行ったの!?

ちなみに、以前の説ですと、石神井城を脱出した豊島泰経さんは平塚城ではなく「小机城」(神奈川県横浜市)に逃れたとされていました。

これが現在では否定されています。

ただ、小机城も長尾景春に味方したことから、同じく太田道灌に攻め落とされています。

その後「長尾景春の乱」は太田道灌によって鎮圧されました。

小机城

平安時代末期からの名家に生まれ、武蔵国の南部に大勢力を張った豊島泰経さん。

とにかく相手(太田道灌)が悪かったです。

石神井城の落城と平塚城の自落を受けて、400年以上の歴史を持った名門の豊島家は滅亡を迎えました。

しかしながら、石神井城では先述のように豊島泰経さんと照姫の落城伝説が語り継がれていき、石神井公園では現在、豊島泰経さんや照姫が登場する『照姫まつり』が開催されています。

◆照姫まつり公式サイト(→link

このお祭りでは、豊島泰経さんや照姫などの役を一般公募していて、当選した方は石神井公園から石神井駅までの照姫行列パレードや舞台演技を行うことができるそうです。

私も応募してみようかと思ったのですが、本番までに8回の演技練習があってスケジュール的に厳しそうなので断念いたしました…。

新型コロナなどの動向もありますので、興味のあるお方は事前に確認して、是非チャレンジしてみてください!

それでは、次回の“ご当地マイナー武将”もお楽しみに。

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◆れきしクンって?

元お笑い芸人。解散後は歴史タレント・作家として数々の番組やイベントで活躍している。

作家名は長谷川ヨシテルとして柏書房やベストセラーズから書籍を販売中。

【著書一覧】
『あの方を斬ったの…それがしです』(→amazon link
『ポンコツ武将列伝』(→amazon link
『ヘッポコ征夷大将軍』(→amazon link

◆Youtubeも絶賛放映中「それいけ!れきしクンTV」

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れきしクン(長谷川ヨシテル)

元お笑い芸人の歴史マニア。埼玉県熊谷市出身。立教大学卒。 大学在学中の20歳で訪れた海外旅行の機内にて、「日本の歴史を知らないまま海外に行こうとしている自分」に気づき、帰国後に本格的に日本史の学習を開始。 その後、同じ読み方の名前を持つ「足利義輝」をきっかけに戦国時代へ傾倒し、以来、歴史コンテンツを楽しく・わかりやすく伝える活動を継続している。 芸人として培った話術と表現力を活かし、テレビ・ラジオ・イベント・ウェブメディアなど多方面で活躍。大河ドラマ『おんな城主 直虎』にも“ちょい役”で出演経験がある。 ◆主な著書 ・『どんマイナー武将伝説』(柏書房、2023年) ・『トンチキ鎌倉武士』(柏書房、2022年) ・『キテレツ城あるき』(柏書房、2022年) ・『ドタバタ関ヶ原』(柏書房、2020年) ・『ヘンテコ城めぐり』(柏書房、2019年) ・『ポンコツ武将列伝』(柏書房、2017年) ◆主な出演 ・2019年10月15日放送 TBS『クイズ!オンリー1 戦国武将』優勝 ・NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』出演 ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001273473

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