真田信之/wikipediaより引用

真田家

真田信之(信幸)父が昌幸、弟が幸村という真田継承者の苦悩~93年の生涯

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「大坂の陣」、もうひとつの真田一族

領国では家臣団の再編成を進める。

大名としては、幕府の要望に答える。

親族には、生活の援助や精神的なケアをする。

そんなよき大名であり、家庭人でもあるのが信幸でしょう。彼には、父・昌幸の死を契機に心境の変化があったようです。

慶長17年(1612年)、昌幸は流刑先で死を迎えました。

赦免の望みが消え、失意のまま迎えた最期。この年に、最後の「信幸」署名が確認されているのです。

彼は「信之」と改名します。

父の死を契機に、一人で真田家を背負う気持ちが強まったのかもしれません。

そしてその二年後、別の家族との別れも迫ってきます。

慶長19年(1614年)。
大坂の陣】勃発――。

このとき、49歳であった信之は病気療養中でした。

長寿のためか。真田信之には健康的なイメージがあるかもしれませんが、実は中年期以降はしばしば病気療養をしていたことが窺えます。

幕府は、本人ではなく嫡子・真田信吉を参陣させてもよいと許可を出しました。

信之は吾妻の家臣に出陣の準備を整えるよう、指令を出したのです。

それと重なる時期に、九度山から信繁が脱出し、嫡子・大助ともども大坂を目指していたのでした。

信之の子である信吉22歳、信政18歳は、これを初陣として大坂へと向かっていきました。

兄弟は、本田忠朝率いる組に加わり、徳川秀忠の元で戦うことになります。

配下の将兵が出陣した吾妻に、信之は気を配らなければなりません。妻の小松殿は、我が子が戦功をあげられるかどうか、心配していました。

そんな信之の耳に、信繁が大坂入りした一報が届き、果たしてどんな心情になったでしょう。

配流先の生活苦をふまえ、逆転のチャンスを狙っていた弟を理解したのか、しなかったのか。複雑な気持ちではあったことでしょう。

この劇的な真田一族について、逸話も残されています。

信繁が甥の軍勢に気づくと、攻撃をやめたという話ですが、これは後世の創作です。

信吉・信政兄弟は、家康・秀忠を感心させるだけの戦功をあげたと伝わります。

「大坂の陣」の主役である真田といえば、信繁と大助父子ばかりが取り上げられます。

それだけではなく、信吉・信政もよく戦っていたのです。このときの、もう一方の真田の苦難も、知られるべきでしょう。

幕府による大坂方残党の捜索は、徹底したものでした。

真田家臣からも、有力宿老であった宮下藤右衛門が粛清されています。信繁に通じた嫌疑によるものでした。

京都では、こんな唄が流行ったとされています。

「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり加護島(鹿児島)へ」

ロマンチックな歌ではありますが、もしもそれが史実であれば、信之の血を引く真田も、タダでは済まされなかったことでしょう。

真田伝説が華々しく残っているということは、幕府が無害、ガス抜きとして咎めなかったということではないでしょうか。

真田幸村伝説はもちろん楽しいものではあります。

それが【花】だとすると、信之の真田家は【実】といったところでしょう。

信玄生存の頃は海津城として川中島を見守っていた松代城。信之が入城し、そのまま真田の本拠地となる

 

波乱万丈の長き一生

そんな誠実な信之ですが、彼自身の長寿や家庭環境もあったのか、辛い別れはいくつもりました。

家族との永訣です。

父・昌幸
母・山手殿
弟・信繁
弟・信勝
妻・小松殿
妻・清音院殿
義父・忠勝
義弟・忠朝
義弟・忠政
子・信吉
子・信政
子・信重
嫡孫・熊之助

当時で90過ぎまで生きたという、驚異的な長寿が一因でしょうか。

いずれも彼より先に亡くなられた者たちです。

彼の人生は、楽ではありません。

幕藩体制でも、真田家の基礎を気づくため、借金に悩まされながら、領地経営に尽くし続けました。

最晩年まで、嫡孫の死に伴うお家騒動に立会い、政治と縁が切れませんでした。

楽隠居すらできない運命であったのです。

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生活が困窮したものの、政治的な重圧はなかった父・昌幸と弟・信繁。

大名であり、生活は保障されているものの、最期まで政治から離れられなかった信之。

真田家の運命とは、なんと対照的なのでしょう。

万治元年(1658年)、やっと長い人生は終わりました。

享年93。
辞世は、次の通りです。

「何事も 移ればかわる 世の中を 夢なりけりと 思いざりけり」

乱世に翻弄された国衆・真田家を、大名として安定させた長い一生は、かくして終わりを迎えたのでした。

なお彼の死後、真田からは信之の忍従をぶち壊す、悪行三昧の者も出ております。

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文:小檜山青

【参考】
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『真田信之』黒田基樹(→amazon
真田昌幸』黒田基樹(→amazon
戦国大名と国衆』平山優(→amazon
『武田三代』平山優(→amazon
真田信繁』平山優(→amazon
武田勝頼』丸山和洋(→amazon
『全国国衆ガイド』大石泰史編(→amazon
『戦国時代人物事典』(→amazon

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