信長公記

大蛇と成政~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第20話

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今回第20話は、戦とはあまり関係のない、日常に近い話です。

信長公記』には何年のことか書かれていないのですが、
佐々成政の居城が比良城(ひらじょう)だった】
とありますので、永禄三年(1560年)以降のことと思われます。この年に成政が家督を継ぎ、現在、名古屋市西区にある比良城に入ったんですね。

その比良城の東には、南北に伸びる大きな堤防がありました。

そして西側には「あまが池」(※)があり、「恐ろしい大蛇が潜んでいる」と長く伝えられていたのです。

 

眼は星のように光り輝き、舌は真っ赤で大きく

ある年の1月中旬、この近くに住む又左衛門という人が、雨の降る夕方に付近を通りかかり、奇妙な化け物に出くわします。

「顔は鹿のようで、眼は星のように光り輝き、舌は真っ赤で大きく、人の手のひらを開いたようだった」

証言によると、まるで化物。
大蛇であれば、体長に関する表現があっても良さそうなものですが、そうではない……。

時刻や天候のせいで体まで見えなかったか。
驚きすぎてそこまで目が行かなかったか。
あるいは、その両方ですかね。

又左衛門は恐ろしさのあまり、もと来たほうへ大急ぎで逃げ出しました。
そしてこのことを周りの人々に話したので、あっという間に噂になり、やがて織田信長の耳にも届きます。

 

「明日、その池で蛇替えをする」

為政者たるもの、領内の治安維持は大切な仕事です。

優しいとかそういう話ではなく、又左衛門のように、大蛇を恐れて人の行き来が滞ったり、いざというとき兵が怖気づいて行軍に支障が出るようなことは、未然に防がなくてはいけません。

そこで1月下旬、信長自らこの近辺を訪れ、又左衛門を呼び出しました。

ずいぶんとフットワークが軽く感じますが、清州城からこの池までは、現代の道路で9km程度。
朝晩馬を乗りこなしていた信長なら、「ちょっとそこまで出かける」くらいの感覚だったのでしょう。

黄色……清州城(信長)
紫色……比良城(成政)
緑色……あまが池(大蛇)

ちなみに、前回お話した【稲生の戦い】をした地点からこの池までは3km程度の距離です。
信長公記首巻の舞台の多くが、信長にとっての近所であったことがわかりますね。

信長は又左衛門から詳しい話を聞き、
「明日、その池で蛇替え(じゃがえ)をする」
と触れ書きを出します。

蛇替えとは、池の水をかき出して蛇を捕えることです。
日本では蛇を水神とみなしたり、神の化身・神の使者と扱うことも多いですが、マムシなどの毒蛇の場合は実害も大きいので、退治することもままあったのでしょう。

信長から見れば、本当にそんなデカイ蛇がいるなら単純に危険ですし、もしもこの周辺を行軍しているときに襲われでもしたら一大事。
おそらく若い頃の話なので、ただ単純に【化け物退治】と考えていた可能性も高いですけどね。

 

信長自ら脇差をくわえ、池の中へ

そして蛇替え当日、周辺の村からも住民が多々集められ、大規模な作業となりました。

しかし、どうしたわけか、元の7割ほどまで水を減らすと、それ以降は何度すくっても水が減らなくなってしまいます。

そこでなんと、信長自ら脇差をくわえ、池の中に入っていくという荒業に出ます。
7話でも述べましたが、信長は本当に泳ぎが得意だったんですね。

しかし一向に蛇は見つからず、信長は一度水から上がり、集まった村人の中から泳ぎの得意な者を一人呼んで、

「お前がもう一度調べてこい」
と命じて、池の中を探させました。

それでもやはり蛇は見つからず、信長は諦めて清州城へ帰ります。

旧暦1月下旬=新暦2月下旬なので、いくらなんでも長時間の水泳には向かない季節です。
毎年3月から水練をしていた信長からすれば、「今年は少し早く泳ぎ始めるか」くらいの気分だったかもしれませんが。

 

隙を見て刺し信長公を道連れに飛び込みます

この節は、後半の話のほうが主題かもしれません。

前述の通り、この大蛇は、佐々成政の居城付近での話です。

現代の道路だと7~800mくらいしかないほど。
実は当時の成政は、信長に反抗心があり、この日は仮病を使って蛇替えに参加しなかったといいます。

そのため成政は「信長が比良城見物を兼ねて、蛇替えの後ここに立ち寄って、切腹させられるのではないか?」と怯えていたのだとか。

それを成政が自分の家臣に告げると、家老の一人・井口太郎左衛門という者が言いました。

「信長公がここにいらっしゃるのなら、城の見物をしたいとおっしゃるでしょう。私が水辺へご案内し、隙を見て刺し、そのまま信長公を道連れに川へ飛び込みます」

そう言って成政を安心させました。

佐々成政/wikipediaより引用

 

牛一が信長に心酔していたことがよくわかる

結局、信長はまっすぐ清洲城へ帰ったので、この計画が実行されることはなく、誰も死なずに済んでいます。

成政の取り越し苦労っぷりもすごいですが、太郎左衛門の捨て身ぶりもまた凄まじい。
さすが戦国時代としかいえません。

これについて、著者である太田牛一は以下のように信長を褒め称えております。

「一城の主たる者は、このようにいついかなるときも用心していなければならないのだ」

信長がこのときどう考えていたかはわかりません。
ただの偶然という可能性もありますが、牛一が信長に心酔していたことがよくわかる表現です。

※ あまが池……現在は「蛇池(じゃいけ)」と呼ばれる名古屋市西区の池。蛇池神社(正式名称は「龍神社」)という神社があるが、これは信長由来ではなく、20世紀になってから建てられたもの

長月 七紀・記

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link

 



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