永禄11年(1568年)の上洛により、足利義昭を15代将軍に就任させた織田信長。
その後、両者は数多のトラブルで険悪になり、元亀四年(1573年)、ついに信長は義昭を京都から追い出しました。
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足利義昭を追放したことにより、京都の情勢は一応の落ち着きをみせました。
しかし、周囲はまだまだ敵だらけ。
特に、美濃と京都の間に位置する近江の浅井、そしてその背後で浅井を支持する越前の朝倉は、真っ先に倒すべき存在でしたが、彼等への攻撃とほぼ同じタイミングで「改元」が行われ、そんなところからも信長という人物像が浮かんできたりします。
今回は、その辺を追ってみましょう。
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水運の要・琵琶湖をどう使う?
元亀四年(1573年)7月26日、信長は京都を出発。
浅井氏攻略を再開するため、琵琶湖に停留させていた大船に乗り、近江の高島(高島市)へ向かいます。
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近江攻略の何が難しいか?
というと、やはり琵琶湖の存在が大きいところ。
水源や水運の機能は十分ですが、これが敵に使われるとなると、持久戦は免れません。
ならば、自分たちも琵琶湖を最大限に利用すればいい。
こうした発想の転換が早いところも、信長の特徴の一つですね。
まず陸は、木戸(大津市)、田中(高島市)の砦を攻めました。
これまでは浅井氏の本拠・小谷城と岐阜の間、つまりは琵琶湖の東側から攻めていましたが、今回は琵琶湖の西側からの攻撃です。
また、湖上からも信長の御馬廻衆が船で近づいて攻め込む予定でした。
しかし、木戸・田中の敵がすぐ降参したため、大して時間と手間がかからずに済みます。
この二ヶ所の砦は明智光秀に与えられ、信長は先へ。
改元費用を出し渋っていたのは義昭だった
続けて、高島郡の文林員清の館に陣を据え、周辺の浅井領一帯を焼き討ちしました。
浅井方からすれば、じわじわと追い詰められ、苦しい心境だったでしょう。
『信長公記』にこそ載っていませんが、ちょうどこの戦をしているのとほぼ同時期、7月28日に「元亀」から「天正」への改元が行われています。
少し、そのあたりのことも触れておきますと……。
これを
「信長が義昭の追放に成功したため、朝廷に改元をゴリ押しした」
と捉える人も多いのですが、それは少々違います。
元亀三年(1572年)10月に信長から義昭へ出された異見状の中で、次のような話が出ています。
「元亀の元号になってから天変地異が多く不吉なので、朝廷に改元を申し上げるべきです。
その費用は当然、幕府から出さなければなりません。
宮中からもご催促がきているのですから、怠るのはよくありませんよ」
要は、義昭を追放できたから改元をゴリ押したのではありません。
義昭が費用を出さなかったせいで長い間改元できていなかった
↓
諸々の問題の合間を縫って、信長が費用を出した
↓
改元できた
ということです。
朝廷の女官たちが代々書き続けてきた「御湯殿上日記」にも、元亀三年(1572年)3月29日には改元の話が出てきています。
義昭は、異見状が出された時点で、7ヶ月も朝廷への費用献上を渋っていたということになるわけです。
それでは、少々キツめに釘を差されても仕方ないですよね。
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朝廷や将軍を尊重していた信長
実権を握っていたのは信長ですが、将軍という武家の頭領を飛び越えて、信長から費用を献上することはできません。
それこそ謀反同然になるからです。
実力の差こそあれ、信長は朝廷や将軍の顔に泥を塗るようなことは避けていました。
この辺から、信長が無法者でも、乱暴な革新者でもないことが見てとれますね。
将軍の立場を慮ったからこそ信長は、わざわざ手紙で義昭に急かしたのです。ただ、それが義昭には伝わらなかっただけで……。
また、「天正」の文字を選んだのは公家・文章博士の高辻長雅であり、信長は関与していません。
出典は中国の詩文集「文選」、そして同じく中国の思想家・老子が書いた「老子道徳経(通称:老子)」です。
「元亀」への改元をした際にも、既に他の候補として「天正」があったのだとか。
改元の日付についても、朝廷側で決めたといわれています。
信長には連絡こそ来ていますが、新しい元号や日付の選定に関わった可能性は低いようです。
こうした面からも、現代の我々のイメージ以上に、信長が世間の目を気にしていたことがわかりますね。
長月 七紀・記
※信長の生涯を一気にお読みになりたい方は以下のリンク先をご覧ください。
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
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なお、信長公記をはじめから読みたい方は以下のリンク先へ。
◆信長公記
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麒麟がくるのキャスト最新一覧【8/15更新】武将伝や合戦イベント解説付き
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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link)
『戦国武将合戦事典』(→amazon link)
天正/wikipedia