信長公記 皇室・公家

【信長の礼儀】やっぱり朝廷や伝統を重んじていた~超わかる信長公記94話

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永禄11年(1568年)の上洛により、足利義昭を15代将軍に就任させた織田信長
その後、両者は数多のトラブルで険悪になり、元亀四年(1573年)、ついに信長は義昭を京都から追い出しました。

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足利義昭を追放したことにより、京都の情勢は一応の落ち着きをみせました。

しかし、周囲はまだまだ敵だらけ。
特に、美濃と京都の間に位置する近江の浅井、そしてその背後で浅井を支持する越前の朝倉は、真っ先に倒すべき存在でしたが、彼等への攻撃とほぼ同じタイミングで「改元」が行われ、そんなところからも信長という人物像が浮かんできたりします。

今回は、その辺を追ってみましょう。

 

水運の要・琵琶湖をどう使う?

元亀四年(1573年)7月26日、信長は京都を出発。
浅井氏攻略を再開するため、琵琶湖に停留させていた大船に乗り、近江の高島(高島市)へ向かいます。

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近江攻略の何が難しいか?
というと、やはり琵琶湖の存在が大きいところ。
水源や水運の機能は十分ですが、これが敵に使われるとなると、持久戦は免れません。

ならば、自分たちも琵琶湖を最大限に利用すればいい。
こうした発想の転換が早いところも、信長の特徴の一つですね。

まず陸は、木戸(大津市)、田中(高島市)の砦を攻めました。

これまでは浅井氏の本拠・小谷城と岐阜の間、つまりは琵琶湖の東側から攻めていましたが、今回は琵琶湖の西側からの攻撃です。
また、湖上からも信長の御馬廻衆が船で近づいて攻め込む予定でした。

しかし、木戸・田中の敵がすぐ降参したため、大して時間と手間がかからずに済みます。
この二ヶ所の砦は明智光秀に与えられ、信長は先へ。

 

改元費用を出し渋っていたのは義昭だった

続けて、高島郡の文林員清はやしかずきよの館に陣を据え、周辺の浅井領一帯を焼き討ちしました。
浅井方からすれば、じわじわと追い詰められ、苦しい心境だったでしょう。

信長公記』にこそ載っていませんが、ちょうどこの戦をしているのとほぼ同時期、7月28日に「元亀」から「天正」への改元が行われています。
少し、そのあたりのことも触れておきますと……。

これを
「信長が義昭の追放に成功したため、朝廷に改元をゴリ押しした」
と捉える人も多いのですが、それは少々違います。

元亀三年(1572年)10月に信長から義昭へ出された異見状の中で、次のような話が出ています。

「元亀の元号になってから天変地異が多く不吉なので、朝廷に改元を申し上げるべきです。
その費用は当然、幕府から出さなければなりません。
宮中からもご催促がきているのですから、怠るのはよくありませんよ」

要は、義昭を追放できたから改元をゴリ押したのではありません。

義昭が費用を出さなかったせいで長い間改元できていなかった

諸々の問題の合間を縫って、信長が費用を出した

改元できた

ということです。

朝廷の女官たちが代々書き続けてきた「御湯殿上日記」にも、元亀三年(1572年)3月29日には改元の話が出てきています。

義昭は、異見状が出された時点で、7ヶ月も朝廷への費用献上を渋っていたということになるわけです。
それでは、少々キツめに釘を差されても仕方ないですよね。

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朝廷や将軍を尊重していた信長

実権を握っていたのは信長ですが、将軍という武家の頭領を飛び越えて、信長から費用を献上することはできません。
それこそ謀反同然になるからです。

実力の差こそあれ、信長は朝廷や将軍の顔に泥を塗るようなことは避けていました。

この辺から、信長が無法者でも、乱暴な革新者でもないことが見てとれますね。

将軍の立場を慮ったからこそ信長は、わざわざ手紙で義昭に急かしたのです。ただ、それが義昭には伝わらなかっただけで……。

また、「天正」の文字を選んだのは公家・文章博士の高辻長雅たかつじながまさであり、信長は関与していません。

出典は中国の詩文集「文選」、そして同じく中国の思想家・老子が書いた「老子道徳経(通称:老子)」です。
「元亀」への改元をした際にも、既に他の候補として「天正」があったのだとか。

改元の日付についても、朝廷側で決めたといわれています。
信長には連絡こそ来ていますが、新しい元号や日付の選定に関わった可能性は低いようです。

こうした面からも、現代の我々のイメージ以上に、信長が世間の目を気にしていたことがわかりますね。

長月 七紀・記

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link
天正/wikipedia

 



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