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【吉良で鷹狩】
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お祝い事を控えていたから?
なぜツルだったのか?
というのを少し深く考えてみますと、
「この冬に正親町天皇が安土へ行幸(天皇の外出)する予定があった」
「正親町天皇が誠仁親王に譲位する予定だった」
という説がありまして。
行幸や譲位・即位といった日本最大の祝い事に際して献上するとなると、やはりツルは欠かせなかったでしょう。
江戸時代になってからも、天皇に献上するツルは将軍が自ら鷹狩をして捕っていた、なんて記録もあります。
内心はともかく、表向きは持ちつ持たれつの関係だった正親町天皇へ、信長がツルを献上しようとしたとしても、おかしなことではありません。
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実際には正親町天皇の行幸は行われていませんので、これもまた推測でしかないのですが……。
まだ安土城も完成していませんから、行幸があったところでどこでお迎えするのか?という問題もあります(※安土城天主閣の完成は天正七年(1579年)5月)。
26日には清洲に立ち寄ったと書かれているため、おそらく25日中、あるいは26日の早い時間に吉良を出立したと思われます。
30日には岐阜に到着し、ここで年越しをしました。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
日本鷹匠協会(→link)
国史大辞典
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