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信長が吉良で鷹狩したのは天皇へ鶴を献上するため?信長公記142話

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お祝い事を控えていたから?

なぜツルだったのか?

というのを少し深く考えてみますと、

「この冬に正親町天皇が安土へ行幸(天皇の外出)する予定があった」

「正親町天皇が誠仁親王に譲位する予定だった」

という説がありまして。

行幸や譲位・即位といった日本最大の祝い事に際して献上するとなると、やはりツルは欠かせなかったでしょう。

江戸時代になってからも、天皇に献上するツルは将軍が自ら鷹狩をして捕っていた、なんて記録もあります。

内心はともかく、表向きは持ちつ持たれつの関係だった正親町天皇へ、信長がツルを献上しようとしたとしても、おかしなことではありません。

実際には正親町天皇の行幸は行われていませんので、これもまた推測でしかないのですが……。

まだ安土城も完成していませんから、行幸があったところでどこでお迎えするのか?という問題もあります(※安土城天主閣の完成は天正七年(1579年)5月)。

26日には清洲に立ち寄ったと書かれているため、おそらく25日中、あるいは26日の早い時間に吉良を出立したと思われます。

30日には岐阜に到着し、ここで年越しをしました。

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長月 七紀・記

【参考】
日本鷹匠協会(→link
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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