信長公記 皇室・公家

信長さん太っ腹! 京都の屋敷で関白息子の元服式~信長公記147話

信長が天正五年(1577年)夏に上洛した際、とある儀式が行われました。

前(さきの)関白・近衛前久(このえさきひさ)の息子の元服式を「信長殿の屋敷で執り行いたい」という要望があったのです。

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おそらくは政治的な関係と、前久と信長の個人的繋がりからだと思われます。

前久は信長と年齢が近く、また鷹狩・馬術といった共通の趣味があったため、公家の中でもかなり親密な関係にありました。

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「宮中で執り行うべきだ」としていたが

公家にとって「ウチの息子は信長殿に後見されているんだぞ」という政治的アピールは重要です。

そうした状況も懸念したのか。

信長は当初この話を断っていました。

「古くからのしきたり通り、宮中で執り行うべきだ」として、再三辞退していたのです。

近衛家は藤原北家の嫡流ともいえる公家でトップの家柄ですから、伝統を守るべき立場にあります。

おそらく、前久は上方だけでなく越後や関東にまで自ら赴き、武家とのパイプを作ったという破天荒な人物でしたので、伝統を破ることにもあまり躊躇いがなかったのでしょう。

近年は評価が変わりつつありますが、革命児イメージが強い信長のほうが「伝統を守るべき」と言っていたという点は、興味深いですね。

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しかし先方の希望があまりにも強かったため、押し切られる形で信長は元服式を引き受け、準備を進めます。

信長が費用や場所を請け負うことで、近衛家や朝廷、あるいは他の公家の負担を減らせると考えたのかもしれません。

 


式の費用は現在の価値で数千万円!?

こうして閏7月12日、信長の京都屋敷である二条御新造(二条新御所・135話)にて、元服の儀式が執り行われました。

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成人の証明となる烏帽子を被せる役も、信長が担当しています。

これにより、前久の息子は「近衛信基(のぶもと)」と名乗るようになりました。後に「近衛信伊(のぶただ)」と改めています。今日ではこちらの名で呼ばれることのほうが多いですね。

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「信」の字はもともと公家でもよく用いられるものですが、彼の場合は烏帽子役である信長から一字もらったと思われます。

信長からも、信基へのご祝儀として、以下の品々が贈られました。

・衣服 十着
・太刀代 一万疋(いちまんびき)
・長船長光の腰刀
・金子 五十枚

「疋」というのは、当時の銭の数え方です。時代によって価値が違いますが、信基の元服当時の価値を現代の金額に当てはめると、おおよそ1,000~1,500万くらいになるのだとか。

この点からも、他の物品や祝い金と合わせた金額はかなりのものになっただろう……ということがわかりますね。

信長が儀式場や烏帽子親を固辞し続けていたら、他の家がこれに匹敵する金額を出さなければならなかったでしょう。

そう考えると、前久が信長に懇望したのも、無理のないことだったかもしれません。当時は朝廷も公家もかなり困窮していた時代ですので。

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その後、信長は政務を処理し、閏7月13日に京都を出発。

瀬田の山岡景隆の城に泊まり、14日に安土へ帰りました。

瀬田と言えば、この日以前に信長が橋を改修したことも『信長公記』に掲載されていましたね。

よろしければ以下の記事を併せてご覧ください。


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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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