天正四年(1576年)4月に上京した織田信長。
実はこのころ石山本願寺が挙兵しており、兵を派遣しながら別の仕事をしていました。
関白・二条晴良が二条の地に構えていた敷地に、屋敷を新築しようと考えたのです。
後に「二条御新造」とか「二条新御所」と呼ばれる建物であり、本能寺の変では織田信忠が立てこもるという歴史的ポイントになる場所でした。
定宿・妙覚寺の近くに建てられた二条新御所
二条新御所が建てられたのは、定宿にしていた妙覚寺のすぐ近く。
『信長公記』では次のようにその経緯を記しております。
「幸いにも二条晴良の屋敷が空地になった。信長はここの庭の眺めを面白く思い、自分の屋敷を建てることにした」
実際には、空地になったのではなく晴良から譲り受けたようで。普請(建設工事)に関する実務については、村井貞勝に任せてました。
信長は、前年に信忠へ家督を譲っているため、妙覚寺を信忠の宿所とし、近所に自分の屋敷を……と考えたのでしょうか。そうすれば、二人が同時に京へ滞在する場合にも、大勢の家来衆を収容しやすくなります。
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ちなみに、歴史上、武家が作った二条の屋敷は複数あり、非常にややこしく感じるかもしれません。
二条新御所については城に匹敵する防衛機能を持っていたため「二条城」と呼ぶこともあり、そうなるとややこしいのが現在京都に残っている二条城でしょう。
混同されがちですが別物です。
本稿では信長が“新しく建てた屋敷”というから「二条御新造」で統一させていただきます。
二年ほど使って誠仁親王へ
二条御新造は天正五年(1577年)夏には完成しています。
が、信長がこの屋敷を使ったのはほんの二年程度のことでした。
天正七年(1579年)11月には、誠仁親王(さねひとしんのう/正親町天皇の皇太子)へ献上し、信長自身は再び京都に屋敷を持たない状態に戻っているのです。
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理由が不明なため、二つほど私見を挟ませていただきます。
一つは、誠仁親王の便宜を図るためという可能性です。
当時、正親町天皇は既に60歳近くになっていました。戦国時代ですからかなり老人の域です。当然ながら「いつ誠仁親王へ譲位するか」という話もあったでしょう。
となると、誠仁親王が即位した後のことも考えなくてはなりません。
また、御所が火災に見舞われた場合など、皇族が別の場所に仮住まいすることがあります。
誠仁親王が即位した後の有事に備えて屋敷を作っておき、信長が整備や住み心地の確認などを済ませておいて献上した……ということも、ありえなくはないかと思います。
信長には、いざとなればいくらでも屋敷を建てられる資金がありますが、当時の朝廷は何かと手元不如意。事あるごとに資金や物資を融通してくれる信長は、かなり頼りになる存在だったでしょう。
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むろん、朝廷や公家との親睦は、織田家にとってもメリットが大きいものでした。
例えば「官位」も朝廷オフィシャルで動かすことができ、世間の評判も上がり、屋敷のひとつやふたつくらいポーンとあげてしまっても大した出費ではなかったはずです。
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次世代の意思疎通をはかった?
そして誠仁親王へ屋敷を献上したもう一つの理由――それは、織田信忠と誠仁親王の連絡をスムーズにさせたことではないでしょうか。
信長にしても既に信忠へ家督を譲っています。これまで信長が定宿としていた妙覚寺を、信忠が使うことも増えるはずです。
となると、二条御新造に誠仁親王がいれば、次世代の二人が連絡もしやすくなるはず。
二人は年齢も近いため、普段から親しくしていれば、今後の政治などで連携を取りやすくなると考えたような気がします。
前述の通り、二条御新造は後に【本能寺の変】で信忠終焉の地となった場所でもあります。
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変の当日、信忠は妙覚寺に宿泊していました。二条御新造とはすぐそばの位置です。
信忠は、信長の救援に行けないことを家臣に聞かされ、「ならば宮様をお助けしなければ」と考えたのでしょう。
直ちに妙覚寺から二条御新造に移動し、村井貞勝に明智軍と交渉させ、誠仁親王や女房・公家たちを逃したといわれています。
信忠が二条御新造に移ったのは、妙覚寺よりも防衛機能に優れていたから、という理由もあったようですが、こうしたことから信忠と誠仁親王の関係は悪くなかったとも思われます。
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【参考】
国史大辞典
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谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
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