敵は本能寺にあり――。
明智光秀の突然の謀反により、京都の本能寺に滞在していた織田信長は業火に包まれながら49年の人生に終止符を打った。
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燃え盛る炎の影響で、一向に出てこない信長の遺体。
そして、それを懸命に探す光秀。
時は、とどまることなく進み、その余波は近隣の妙覚寺に宿泊していた織田信忠へ及び、さらには徳川家康にも一報が届けられた。
織田信忠は、この時点で織田家の当主。実権は信長にあったとしても名目上は信忠であった。
そして家康もまた、織田の麾下にありながら、一国一城の主。逃げるなら一刻でも早く安全な道を進まねばならない。両者の運命やいかに――。
今、アフター本能寺が始まる。
仇討ち
◆父・織田信長が明智光秀に襲われたと聞いた織田信忠は、宿泊先の妙覚寺を飛び出し、本能寺へ向かおうとしたと伝わっております。
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しかし、すでに討ち死にしたと聞くや、自身は二条新御所(二条城)に籠もり、最終的には自害。父同様、その首は見つかりませんでした。
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なぜ、一も二もなく畿内を抜けだして、再起を図ろうと思わなかったのか。
当然、本人も考えたのでしょうけど、相手が明智光秀と知って諦念したのでしょうかねぇ。
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ちなみに「ヤスケ」とは、黒人武士「弥助」のことです。
夢幻の如くなり
◆最期の最期でダジャレを言っちゃう信長さんが、何か悲しい……。
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一向宗とは色々ありました。
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越前一向一揆なんかもあります。
そもそも戦いの根源は、一向一揆側から仕掛けたもので、どちらが「悪」とも言い難いとは思いますが……。
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