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【戦国ブギウギ68話】
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河内国四条畷
◆堺から三河へ――このとき真っ先に地元へ逃げ帰った徳川家康が、後に快進撃を続けることは周知の事実です。
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一説には伊賀に縁のある服部半蔵が道案内をさせたという話も伝わっていたりしますが、いずれにせよ「逃げる」というのは最良のチョイスだったんすね。
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やっぱり信忠さんの判断が悔やまれます。ifは禁物ですけどね。
謎の一揆衆
◆アフター本能寺・徳川編では、家康の上洛に同行していた元・武田家の穴山梅雪がおり、家康と別行動をしたと言われております。
そして、穴山梅雪だけ殺されてしまいます。
家康は無事に帰りました。
ゆえに梅雪は家康に殺されたなんて話もございますが、自分自身も命からがら逃げる最中に、そんな余裕はなかったでしょ?という考え方もまた自然。
死人に口なし、真相は闇の中……。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!