浅井朝倉をはじめ、三好三人衆や本願寺(一向一揆)を敵に回した織田信長。
京都から近江、美濃、尾張へと続く道は、いずれも敵に囲まれ、そうした状況は現在【第一次信長包囲網】として知られます。
包囲網に参加していた主なメンツはざっと以下の通り。
浅井朝倉に続き、挙兵したのが石山本願寺。
彼らとの【野田・福島の戦い】に駆り出された織田軍は、摂津石山へ向かいます。
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野田・福島の戦い(第一次石山合戦)|信長公記第73話
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すると、待ってました!とばかりに動き始めたのが浅井朝倉連合軍。
彼らは織田軍の背後を衝こうとして琵琶湖の西側を南進しますが、そこに立ちはだかったのが織田家の重臣・森可成でした。
約3万とも言われる浅井朝倉連合軍に対峙したのは、わずか1,000程の兵を率いた森可成です。
信長の一歩前に、絶体絶命のピンチへと追いやられた宇佐山城はどうなるのか……?ということでマンガ「日本史ブギウギ」第158話スタート!
増援部隊
◆森蘭丸の父――というとか細いイメージが先行するかもしれない森可成。
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森長可の父と言えば、実は猛将であるということも納得しやすいでしょうか。
この森可成、わずか1,000の兵で浅井朝倉の大軍を食い止め、織田軍のピンチに凄まじい槍働きをします。
堅牢宇佐山城
◆3万の兵を相手にしてはさすがの森可成も力尽き、ここで討死してしまいました。
【宇佐山城の戦い】と呼ばれます。
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宇佐山城の戦いと志賀の陣で信長再び窮地|信長公記第74話
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信長神出鬼没
森可成を討たれ、怒り心頭の織田軍は石山本願寺から京都・近江方面へ向かい、浅井朝倉はいったん比叡山延暦寺へ逃げ込みます。
しかし、第一次信長包囲網を敷かれていた織田軍のピンチは変わらず。
伊勢では長島一向一揆も起き、信長の弟・織田信興が殺され、
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残された手は和睦しかありませんでした……。
そこにいた義景
◆将軍・足利義昭に働きかけ、和睦を提案した信長。
織田家にとっては相当なピンチでしたが、なんと朝倉義景はこの提案を受諾してしまうのです。
一向一揆
◆前年の長島一向一揆により弟の命を奪われた信長。
和睦をしたばかりですが、にわかに挙兵の準備を進めます。
敵は延暦寺にあり!
焼討ち命令
◆信長を「魔王」と呼ばせた大きな要因――それが【比叡山焼き討ち】でしょう。
後世の発掘調査で「そこまで激しく殺していない」とされますが、比叡山へ攻めかかったのは事実であり、山に居た浅井朝倉の残党狩りも行われました。
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この作戦で活躍したのが明智光秀であり、宇佐山城の代わりに坂本城を築くのでした。
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これに対して浅井朝倉たちは……。
浅井夫婦
◆浅井家に嫁いだお市の方は、浅井長政と仲睦まじい二人だったと目されています。
実はこうして波乱があった後も、浅井三姉妹を産んでいるんですね。
詳細は以下の記事へ(記事末にもリンクあります)。
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長政の決意
◆気合を入れ直す長政!
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堅牢として知られる小谷城に籠もり織田軍の侵攻を撃退する腹積もりでしょう。しかし……来週へ続く!
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!
















