今回の『信長公記』解説は「巻十二 第十五節」で【人身売買】に関するお話。
殺伐とした戦国時代ということを加味しても恐ろしい事件が報告されています。
字数は少ないのですが、ともかく確認してみましょう。
※本稿は織田信長の足跡を記した『信長公記』を考察しています。
前話は以下の通り。
伊賀攻め失敗で「親子の縁を切る!」と叱られた信雄~信長公記189話
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町内の門を管理する木戸番が
天正七年(1579年)9月ごろ。
京都は下京・場之町(京都市中京区)で人身売買が発覚。
木戸番の妻が、多くの女性を誘拐し、堺で売り飛ばしていることが判明しました。
「木戸番」というのは、「木戸」というそれぞれの町内に設けられた門のようなものの番人です。
現代でいえば、マンションの管理人や警備員がイメージしやすいでしょうか。
町内の治安を保つため、夜は木戸を締め、不審者が入ってこられないようにしていました。
もし、町内の者が何らかの用事で遅い時間に行き来したいときなどは、木戸番に申し出れば通れたようです。
町民にとって木戸は、家の玄関みたいなものでしょうから、信頼できる木戸番を見たらホッと一息つけたところでしょう。
それが誘拐して売りさばいていたなんて……言語道断どころではありません。
『信長公記』では誘拐の手口が不明なため、木戸番の妻がどこで女性を攫ってきたか?までは触れてません。
しかし、木戸番とわざわざ記しているぐらいですから、その職・立場を利用して犯行に及んだと考えた方が自然ですね。
生活苦だとしても
木戸番の妻を捕獲したのは織田信長の家臣・村井貞勝。
さっそく取り調べると、
「今まで80人ほど売った」
と恐ろしいことを白状するではありませんか。
たしかに戦国時代は人身売買が横行しており、戦場で攫ってきた敵地の人々をそのまま売りさばくこともありました。
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それほど珍しいことではないにせよ、『信長公記』では「女だてらに80人ほど売った」と記していますから、女性が実行犯というのは特異なケースだったのでしょう。
もしかしたら他にも同様の事件があり、今回の木戸番の妻が女性だったから記載されたのかもしれません。
なお、木戸番は、木戸の横に設けられた小屋で生活していました。
ただし、町内の住民から払われる木戸の維持費だけでは足りず、生活用品を商って生計を立てていたといいます。
要は、生活が苦しかったのでしょうが、だからといって人身売買などはあまりに極端過ぎて救いようがありません。
実際、すぐさま処刑されています。
★
その直後と思われる9月29日、信長が伊丹方面から戻ってきた翌日にはこんなことがありました。
加賀の一揆勢から大坂本願寺へ向かう使者を、公家の正親町季秀が捕縛。
織田信長に届けてきました。
信長はこれを大いに喜んで、使者を直ちに処刑したそうです。
貴重な情報源ですから、処刑の前に尋問しているはずですが、残念ながら『信長公記』には記載がありません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
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