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【信忠と松姫】
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消え去った信忠と松姫(信玄娘)の婚約
『信長公記』では話題になっていないのですが、これより数年前のこと。
まだ織田氏と武田氏が敵対しておらず、むしろ(一時的に)友好関係を築こうとしていた頃の話です。
信長と信玄は互いに書状や贈り物のやりとりをし、そのうち信長の姪・龍勝院と武田勝頼の婚姻が整いました。龍勝院は信長の養女として嫁いでいます。
さらに両家の結び付きを強めるため、その数年後に信忠と信玄の娘・松姫との婚約が成立。
信忠は11歳、松姫は7歳という幼さだったため、実際の婚姻は適した年令になってから……ということで、しばらくは婚約の状態が続きました。そして……。
織田信長は織田信忠に「松姫にこまめに手紙や贈り物をするように」と言い聞かせていたようで、信忠は素直に従い、松姫も積極的に返事を書いていました。
形式上は夫婦であるものの、まだ顔も見たことがない間柄。
しかも世知辛い戦国の世で、お互い気にかけて手紙や贈り物をしあうというのは、何だか心があたたまる話ですね。
幼い子供から思春期になっていく二人がお互いに好意を抱くまで、そう時間はかからなかったのではないでしょうか。しかし……。
元亀三年(1572年)、信玄が徳川領へ侵攻し、信長が徳川への援軍を出したことで、この婚約は霧消してしまいました。
自分の意志で戦う覚悟を決めた?
後年の信忠の振る舞いを考えると、おそらくそれからも松姫への手紙は書いていたものと思われますが……そうであってもなくても、天正三年のこの件は切ないものです。
天正二年の明知城や高天神城の件で信忠が出陣したときは、信長に従うという面が強いものでした。
しかし今回天正三年3月の出陣は、おそらく自分で判断してのこと。
妻になるはずだった人の兄・武田勝頼と、自分の意志で戦う覚悟を決めた……というのですから戦国の世の無常を感じずにはいられません。
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むろん、後世の我々が勝手に感傷的になっているだけで、当の信忠がどう思っていたかはわからないのですけどね。
そしてこれは、この後起きるとても有名な戦の前触れでした。
その件については、あらためて記事にしますので、少々お待ちください。
その前に、近畿での信長の動きに関する話が2つほどありますので、時系列に沿って進めて参ります。
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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
『戦国武将合戦事典』(→amazon)




