絵・小久ヒロ

武田・上杉家 信長公記

信長の嫡男と信玄の娘による切ない『恋文物語』|信長公記第118話

2020/03/12

織田信長が京都で政務や社交をしていた、天正三年(1575年)3月。

その下旬に、東の方で動きがありました。

甲斐の武田勝頼が、三河の足助あすけへ攻め寄せたのです。

📚 『信長公記』連載まとめ

 


勝頼が織田・徳川の勢力圏へ牽制の出陣

足助は、現在の豊田市足助町。

当時は明知城(恵那市)や高天神城(掛川市)などが武田氏の勢力下にありましたので、浜松城を本拠とする徳川家康にとっては、じりじりと追い詰められている形になります。

足助方面から徐々に南下されると、織田氏と徳川氏の連携が絶たれかねません。

地図で確認しておきますと……。

【武田方=赤色の拠点】
山梨県内の躑躅ヶ崎と新府城(右2つ)
静岡県の高天神城(下)
明知城(左)

【徳川方=黄色の拠点】
足助(左)
浜松城(下)

むろん放置するわけにはいきませんが、あいにく信長は留守。

そのため信長の嫡男である織田信忠が尾張の兵を率いて出陣しました。

織田信忠
織田信忠の生涯|なぜ信長の嫡男は本能寺の変で自害せざるを得なかったのか

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すぐに動ける信忠がまず出陣!

信忠が正式に織田家の家督を継ぐのはもう少し後の話です。

ただし、それ以前から、東美濃や尾張については部分的に権限を認められていたようで、信忠の名でいくつかの寺院へ禁制を発行したり、地侍への知行を安堵していたことがわかっています。

【小谷城の戦い】や【長島一向一揆】では、信忠は信長に同行していましたし、指揮官としての振る舞いも学んだのではないでしょうか。

おそらくはこのときの上洛にあたり、信長は信忠に留守中のあれこれを言い含めていたことでしょう。

そうなると、信長の帰りを待つより、すぐに動ける信忠がまず出陣する――というのは理にかなっています。

ただし、このときは武田勝頼とは派手なぶつかり合いには発展せず、すぐに帰還したようです。

当時、信忠が18歳の若者であったことを考えると、”迅速に出陣しながらも、深追いせず、トラブルも起こさず、無事に帰ってきた”というのは、武将として優れた素質を有していたからではないでしょうか。

しかし……信忠の心中を考えると、少々切ない面も。

 

消え去った信忠と松姫(信玄娘)の婚約

『信長公記』では話題になっていないのですが、これより数年前のこと。

まだ織田氏と武田氏が敵対しておらず、むしろ(一時的に)友好関係を築こうとしていた頃の話です。

信長と信玄は互いに書状や贈り物のやりとりをし、そのうち信長の姪・龍勝院と武田勝頼の婚姻が整いました。龍勝院は信長の養女として嫁いでいます。

さらに両家の結び付きを強めるため、その数年後に信忠と信玄の娘・松姫との婚約が成立。

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信忠は11歳、松姫は7歳という幼さだったため、実際の婚姻は適した年令になってから……ということで、しばらくは婚約の状態が続きました。そして……。

織田信長織田信忠に「松姫にこまめに手紙や贈り物をするように」と言い聞かせていたようで、信忠は素直に従い、松姫も積極的に返事を書いていました。

形式上は夫婦であるものの、まだ顔も見たことがない間柄。

しかも世知辛い戦国の世で、お互い気にかけて手紙や贈り物をしあうというのは、何だか心があたたまる話ですね。

幼い子供から思春期になっていく二人がお互いに好意を抱くまで、そう時間はかからなかったのではないでしょうか。しかし……。

元亀三年(1572年)、信玄が徳川領へ侵攻し、信長が徳川への援軍を出したことで、この婚約は霧消してしまいました。

 


自分の意志で戦う覚悟を決めた?

後年の信忠の振る舞いを考えると、おそらくそれからも松姫への手紙は書いていたものと思われますが……そうであってもなくても、天正三年のこの件は切ないものです。

天正二年の明知城や高天神城の件で信忠が出陣したときは、信長に従うという面が強いものでした。

しかし今回天正三年3月の出陣は、おそらく自分で判断してのこと。

妻になるはずだった人の兄・武田勝頼と、自分の意志で戦う覚悟を決めた……というのですから戦国の世の無常を感じずにはいられません。

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むろん、後世の我々が勝手に感傷的になっているだけで、当の信忠がどう思っていたかはわからないのですけどね。

そしてこれは、この後起きるとても有名な戦の前触れでした。

その件については、あらためて記事にしますので、少々お待ちください。

その前に、近畿での信長の動きに関する話が2つほどありますので、時系列に沿って進めて参ります。

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
『信長と消えた家臣たち』(→amazon
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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