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【日本住血吸虫症】
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肝硬変を患わせて死に至る
一部の虫卵は腸に出ません。
血流に乗って様々な場所に運ばれ、そこで血管を詰まらせ炎症を起こすのです。
消化管からの血流は、先に述べたように門脈を通り肝臓に注ぎ込むため、虫卵が門脈に詰まると肝臓にダメージを与えることがしばしば。
最終的には肝硬変になる人もおり、重度な症状になりますと大量の腹水が溜まり死に至ります。
また、虫卵は脳に運ばれることもあり、頭痛や運動麻痺、痙攣発作の原因となります。
こんな怖い寄生虫がいるなんて……おちおち水に入れないじゃん!と思った方もいらっしゃるでしょう。
実はこの病気、我が国では流行地が狭い地区に限られる風土病な上、すでに根絶されております。
そう聞けば安心でしょうか……。。
しかし歴史的には私達の祖先が苦しんだものでもあり、決して他人事ではありません。
日本住血吸虫症をいかにして根絶したか?
歴史を見てまいりましょう。
武田二十四将・小幡昌盛も……
日本住血吸虫の流行地は大きく分けて6つ。
そのうち甲府盆地の低湿地帯が最大の流行地であり、病気の原因の発見、治療、予防、そして根絶作戦の主な舞台となります。
甲府と言えば、武田信玄の武田家ですね。
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実は武田家の兵法書としてお馴染みの『甲陽軍鑑』に、この病気と思しき記述があります。
小幡昌盛が武田勝頼に病気のため暇乞いをする部分にそれはあります。
まず「小幡昌盛」について説明いたしますと、春日虎綱の副将として働き、自身も武田二十四将に数えられる優秀な武将でした。
息子の小幡景憲は大坂の陣における徳川家への内通者、甲陽軍鑑の編者として有名です。
そんな昌盛の暇乞いは、勝頼が織田・徳川の軍勢に敗れ、新府城を捨て岩殿城へ向かう途中に立ち寄った甲斐善光寺門前での話にあります。
ちょうど『真田丸』の第1話あたりで、以下の通り。
次に、小幡豊後守善光寺前にて土屋惣蔵を奏者に勝頼御目見仕り、 豊後巳の年霜月より煩ひ、 積聚の脹満なれ共、籠輿にのり、今生の御いとまごひと申。 勝頼公御涙をながされ、ヶ様に時節到来の時其方なども病中、是非に及ばず候と御下さるゝ。豊後も籠輿にて御共仕り候へ共、歩だちて二町ほど御共申いさめ申は、郷人の逆心もいかがに候、今夜は柏尾まで御座被成候へ勝沼は必らず御無用心と申すに付柏尾へ御急ぎならるる。其後小幡豊後も黒駒へ行也如件。(甲陽軍鑑品第五十七より)
昌盛は「積聚の脹満(しゃくじゅのちょうまん)」で、籠に乗って暇乞いに来ました。
勝頼は、その様な病身で来るとは是非に及ばずと感涙しますが、その3日後、昌盛は死亡しております。
「積聚」とは?
これが腹部の異常を指す東洋医学のことばで、腹部が正常でなく脹満しているという記述は「腹水」を示唆する所見です。
もちろん日本住血吸虫以外の肝疾患でも腹水は溜まりますので、断定はできないながら、この部分が【日本住血吸虫症の最古文献】と考えられているようです。
江戸時代に入っても、この地方で腹水を起こす病気は流行し続けました。
むろん、当時としては原因も不明で、対抗手段はなく、太鼓腹になったら後は死を待つのみです。
この病気は金持ちには殆ど見られず、貧農に多発した――そんなわずかなヒントもありながら、やはり特定には至りません。
甲府盆地の一部にのみ流行する死に至る奇病。
いつしか人はこれを「地方病」と呼ぶようになりました。
農家の婦人が死後の解剖を申し出る
解明の糸口となったのは明治14年のこと。
東山梨郡春日居村の戸長が県令に出した一通の嘆願書でした。
この村では両端部に病気が無く、中央部の小松地区にのみ病気が発生したため、発生区域を示した村の地図を添えて原因解明の請願をしたのです。
そこで明治17年、県が医師を派遣して診察を行い、同時に井戸水などの住環境を調べましたが、やっぱり原因は分かりません。
そんな中、温泉で知られる石和(いさわ)の医師・吉岡順作が立ち上がります。
彼は、西洋医学的な手法を用いて病因の解明に挑みました。
まず吉岡は、患者の場所を地図に書きこみ、笛吹川の支流にある水路沿いに分布することを突き止めました。
疫学的手法ですね。
病気と川が関係している――そんなヒントを得ながら、同時に行き詰まってしまいます。
『あとは病理解剖しかないかなぁ……』
そう思った吉岡でしたが、当時はほとんど解剖が行われておらず、特に山梨県での実績はゼロ。
そんな折、末期の患者が吉岡に献体を申し出ます。
杉山なかという農家の婦人が、病気解明のため死後の解剖を希望したのです。
結果、普通の肝硬変と異なり、この病気では肝臓の表面に白い繊維状のものが付着し、門脈閉塞部位が認められました。
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