御館の乱

御館の乱で上杉景虎に勝利した上杉景勝/wikipediaより引用

武田・上杉家

上杉家が真っ二つに割れた「御館の乱」謙信の死後に景勝と景虎が激突した結果は?

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勝頼の妹・菊姫と景勝の婚姻も決まり……

ではなぜ勝頼は、急に中立姿勢を取ったのか?

莫大なカネが動いたと言います。

武田信玄を失ってから【長篠の戦い】で負けるなど、その行く末に暗雲が立ち込め始めていた武田勝頼

金1万両に加えて、東上野の領地割譲――という途方も無い人参をぶら下げられました。

と言っても、景勝支持を表明したワケではありません。

そもそも、御館の乱が勃発してからは、同盟相手・北条氏の意向を受け、武田信豊に信越国境まで出陣をさせていました。

強力な北条を敵に回すのは得策ではなく、景虎支援を明確にしていました。

しかし、その北条氏がなかなか越後に向けて進軍しないため焦燥を覚え、さらには景勝に巨額の人参をぶら下げられ、そこで勝頼が提案したのが

【景勝と景虎の和睦】

でした。

両者がまとまり御館の乱に終止符が打たれれば、北条を敵にすることなく上杉からの金もゲット。

武田としては万々歳ですが、そうそう上手くいくはずもなく、いったんは成立に漕ぎ着けた景勝・景虎の和平もすぐに破綻してしまいます。

というのも、徳川家康が駿河田中城へ進軍し、勝頼自身の背後が脅かされたため、武田軍を帰国させたのです。

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あくまで中立姿勢ながら、どこかフラフラとした武田勝頼。

このころ上杉景勝は「武田との同盟が成功した!」と大袈裟に喧伝し、景虎陣営に揺さぶりをかけていました。

しかし、ここで折れるほど景虎陣営も脆弱ではありません。

ついには北条氏照が軍勢を率いて北上し、樺沢城を陥落。ここを拠点に坂戸城や春日山城への攻撃を始めるのです。

坂戸城は、上田長尾氏の本拠地で、景勝生誕の地ともされているだけでなく、銀山や穀倉地帯を抱えた非常に重要な拠点でした。

景勝は一転してピンチに陥ったのです。

 


これ以上揉めてたら織田家に潰されてた?

ところが、です。北条氏照は、ここから徐々に軍を引いてしまいます。

理由は“豪雪”でした。

敵陣へと進み、孤立を恐れた北条軍は帰国してしまい、戦況は逆転。

兵を分散せざるを得なかった景虎軍は守勢に回され、そして天正七年(1579年)3月17日、いよいよ事態は動きます。

景勝が御館へ総攻撃をかけて攻め落とし、内乱が終結へ向かうのでした。

景虎は一度は逃げたものの、味方であったはずの城に立ち寄ったところで裏切られ、結局、自害。

しかしそれで越後の将全てが納得したわけではなく、最後までゴネた人々をまとめるまでには、さらに一年ほど時間がかかっています。

ちなみにこの間、織田家が「謙信以外なら怖くないぜイヤッホォォオオウ!!」とばかりに攻め込んできています。

攻め込んだのは斎藤利治で【月岡野の戦い】と呼ばれます。

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上杉側が負けていますので、もしもっと長引いていれば同家の存続自体が危うかったかもしれません。

なにせ【本能寺の変(1582年)】まで、まだ3年以上の月日がありましたから。

こうしてギリギリのタイミングで内乱を収めることができた景勝。

その後は織田信長との戦いや、豊臣秀吉からの無茶振りなどを受け、新たな困難に立ち向かっていくことになります。

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なんだかんだで上杉は時代の中心にいるのが凄いところで。

信長と秀吉の死後は【直江状】で知られる徳川家康との争いから関ヶ原の戦いを勃発させ、伊達政宗最上義光と[【慶長出羽合戦】を起こし、その後120万石→30万石へ転落します。

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そして、むちゃくちゃ厳しい経済状態で江戸時代へと進んでいくのですね。

まさに歴史は脈々と続くものだということ、御館の乱はその転換点だったことを痛感させる事件でした。


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長月七紀・記

【参考】
国史大辞典
桐野作人『<家督相続と戦国時代>上杉謙信の死と相続問題』(→amazon
橋場日月『<上杉家と戦国時代>景勝VS景虎 血で血を洗う上杉家の家督争い』(→amazon
御館の乱/wikipedia

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