上杉謙信(左)と武田信玄/wikipediaより引用

武田・上杉家

信玄と謙信、真の勝者はどちらだと思います?日本無双之名大将という評価も

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信玄と謙信、お互いをどう思っていた?

長い目で見ると、謙信の「勝ち」のようだが、お互いのことはどう評価していたのか。

これが意外に難しい。昔の人は「感想文」というのを残さない。

少ない史料から「心情」を読み解いた一例が、在野の戦国研究者として知られる鈴木真哉氏だ。

『戦国武将・人気のウラ事情』(→amazon)でこの疑問について触れている。

1561年、謙信は大軍で北条氏康を囲んだが落城できず、引き揚げるときに逆に補給部隊を襲われてしまい、「(松隣夜話という史料に)じぶんが常々、甲斐の武田信玄におよばないと思うのは、こういうところだと言ったという」(122頁)

たしかに言ってそうだ。

ところが、この手の話は怪しいというのが歴史の常で、同史料では小田原攻めの年を間違えたり、呼び名の年代が違ったりと信憑性が低いのだそうだ。うーん、困ったが……ご安心を。

 


信玄だけじゃなく北条氏康のことも

『戦国武将・人気のウラ事情』にはこんな記述もある。

もう少し確かな史料としては、天正2年(1574年)春、木戸伊豆守らに宛てた書状(「謙信公御書」)がある。

謙信は、このとき関東に出兵し、利根川を舟で渡ろうとしたが、北条勢の攻撃を受けて失敗した。

家臣の佐藤筑前という者に、敵の攻撃を受けたらまずいのではないかと尋ねたところ、敵が攻撃してくる地形ではありませんと答えたので、決行したところ失敗したのである。

それで「佐藤ばかもの」と書中で罵っている。

そう言いながら、よくわからない地形では、武田信玄、北条氏康だって失敗しただろうから、自分の失敗も無理はないと弁明している。(123頁)

とまぁ、信玄のことはちゃんと評価していたのだ。

というか、北条氏康のことも?

北条氏康/wikipediaより引用

そうそう、東日本では北条氏康も重要かつ屈強な武将ですよね。

本当は、信玄・謙信のライバル関係の中に名前が出てこない氏康が一番かわいそうだったりして……。

 


ムカつくけど日本無双之名大将だと思います

さて、一方の信玄といえば。

死に際して息子の勝頼に「謙信は義の人だから頼りなさい」と言ったといわれているが、この有名な逸話も実は確実ではない。

結果的に、武田&上杉の同盟が成り立ったから、あとづけで創られた可能性も高い(ちと、さびしいが)。

信玄本人が謙信を評価した史料はなく、信頼性の高い史料として1576年(天正4年)に、甲斐の僧侶が越後の僧侶にあてた書状(「歴代古案」10月15日付け)に、信玄は謙信のことを【日本無双之名大将】とたびたび言っている。

つまり「おたくの大将もすごいね」との内容が記されているのだ。

「自分で文章を書くのは1通が限度で、2通は書けなかったのである」(鴨川達夫『武田信玄と勝頼』129頁)と、信玄は筆無精だったので、史料には残らずとも、やっぱり「あいつすげー」とは言っていたと考えてよさそうだ。


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文・川和二十六

【参考】
乃至政彦『上杉謙信の夢と野望 (歴史新書y)』(→amazon
鴨川達夫『武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像 (岩波新書)』(→amazon
鈴木眞哉『戦国武将・人気のウラ事情 (PHP新書)』(→amazon
富永商太・川和二十六『戦国時代100の大ウソ』(→amazon

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編集管理人・五十嵐利休。 1998年に大学卒業後、都内の出版社に勤務。 書籍や雑誌の編集者を務め、2013年に新聞記者の友人と武将ジャパンを立ち上げた。 月間の最高アクセス数は960万PV超。 現在は企業のオウンドメディア運用やコンサルティング業務もこなしている。

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