上杉景虎

絵・小久ヒロ

武田・上杉家

越後の戦国武将・上杉景虎の生涯~なぜ北条の子息が上杉で跡継ぎ争いをしたのか

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御館の乱 勃発

天正六年(1578年)3月、「後継ぎは誰にする?」という真意を明かさないまま上杉謙信が急逝。

ついに上杉景虎上杉景勝は衝突することになります。

前述の通り【御館の乱】と呼ばれる内乱です。

乱発生当時の動きは景勝方のほうが早く、彼は「義父上の遺言」として春日山城の本丸へ首尾よく入りました。

春日山城/wikipediaより引用

このため景虎は出遅れた形になりましたが、謙信の葬儀についてはきちんと執り行われたようなので、即座に合戦になったわけではないようです。

謙信が亡くなったのが3月13日、合戦になったのが5月5日。

49日が過ぎるまでは暗黙の了解で戦わなかったか、あるいは停戦協定のようなものがあったのかもしれません。

そういうところで協力できるのなら、家督についてももう少し穏便に話し合ってもいいのではないかという気もしますが……。

5月5日の戦は現上越市の大場で行われ、景虎方の敗北となりました。

しかし景虎もやられっぱなしではなく、5月16日には春日山の城下を焼き払って反撃。

この間5月13日、景虎は妻子を連れて、春日山城三の丸から城下の御館に移っています。

注目したいのは、この景虎の妻です。

謙信姉(仙洞院)の娘であり、その父は長尾政景――つまりは謙信に縁が深い血筋であり、必ずしも景虎に謙信の血が入っておらずとも、将来的にその子が同家を継げば良い。

その後、生まれて来た子たちもまた越後に縁のある者たちで結ばれていけば問題はありません。

後は、家臣団たちですが、彼らには明確な利害関係もあります。

「北条が後ろ盾に居る景虎のほうが有利かもしれない」

そう考えれば担ぎ上げることはわけなく、上杉景信や北条高広ら実力者が支持しています。

 


景虎を援護するはずの勝頼が

同年6月、上杉景勝方が御館周辺を焼き払うと、御館は裸城同然になってしまいました。

争いはどんどん加熱してゆき、東北の蘆名氏が様子をうかがったり、景虎が実家の北条に救援を求めたり、外部勢力もこの乱に関係し始めていきます。

当時の北条は北関東で合戦中でした。

そこで同盟相手である武田勝頼に「景虎へ援軍を出してほしい」と要望を出します。

武田勝頼/wikipediaより引用

勝頼が、自ら越後との国境まで出陣すると、景虎と連携を取る前に景勝がやってきました。

そしてこんな話を持ちかけてきます。

「私が家督を継げたら信濃の一部を譲るので、調停役になってほしい」

眼の前に巨大なニンジンをぶら下げられ、誘惑に抗いきれない勝頼。

信濃の制覇は信玄以来の悲願であり、それを受け入れた勝頼は、援軍ではなく調停のために動き始めました。

ひとまず仲裁は成功し、7月中は比較的平穏に過ぎていきます。

しかし8月末、徳川が武田領へ侵攻したため、勝頼が信越国境から離脱すると、景虎と景勝の戦闘が再開、9月には北条氏照と北条氏邦らが樺沢城(南魚沼市)近辺までやってきました。

上杉の脅威を排除したい北条は、どうしても景虎を救わなければなりません。

ところが、雪を警戒した北条軍は、冬が来る前に撤退せざるを得なくなり、景虎方の兵糧は乏しくなり、徐々に追い詰められていきます。

 


逃亡先の鮫ケ尾城で裏切られ

援軍だったはずの勝頼には仲裁で濁され。

実家・北条からの軍勢は雪で追い返され。

追い詰められていく景虎に対し、景勝が動いたのは翌天正七年(1579年)2月1日のことでした。

御館への攻撃を再開すると、当初は景虎方も耐えていましたが、援軍が望めない状況での籠城戦は先が見えず、離反する者も現れ始めます。

そして3月中旬、ついに御館は落城。

景虎は、脱出して再起を図ろうとすると、鮫ケ尾城(妙高市)で城主の堀江宗親に裏切られてしまいます。

そして、3月24日に自害。

妻子については最期まで一緒にいたのか、先に自害あるいは斬殺されていたのか、あるいはどこかへ逃されたか……不明です。

景虎の生涯をまとめると、戦国のならいとはいえ状況に流され続けた感が強く、不憫になってきますね。

謙信が跡継ぎを指名してさえいれば……と思ってしまいますが、後に家督を継げなかった方が謀反を起こす可能性も否定できません。

どちらに転んでも無理ゲーだったのでしょうか。


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長月 七紀・記

【参考】
川口素生『<上杉謙信と戦国時代>乱世に泣いた貴公子 上杉景虎 (歴史群像デジタルアーカイブス)』(→amazon)
峰岸純夫/片桐 昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
花ヶ前盛明『上杉謙信謎解き散歩』(→amazon
今福匡『図説 上杉謙信』(→amazon
国史大辞典
日本人名大辞典

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