岡崎城と本多忠勝像

徳川家

戦国最強で生涯無傷の忠勝も老いればしんみり 晩年はどう過ごした

戦国時代はヒーローの宝庫。

その中で、最も武勇を誇る強者の候補といえばやはり本多忠勝でしょう。

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生涯57度もの戦に出て一回も傷を負わなかった。

武田家や豊臣家の大軍相手に寡兵で立ちはだかった――など、まるで横山光輝三国志のようで、強さに関する逸話には事欠かない人です。

あまりに強すぎたせいで(?)某ゲーム「戦国無又又」ではガン◯ムにされてしまいましたが、何となくわかる気がするから不思議なものです。

 

頼むから領地を貰ってくれよ、と困るのは家康

徳川家の最強武将。

それどころか戦国最強候補にして、天下人家康が最も信頼した四天王(他は以下の3名)の一人です。

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当然、領地も大きくもらった――と思いきや、忠勝に大きな所領は与えられておりません。

家康が江戸に移った頃、上総の大喜多に10万石。

最初の半年程は万喜城(千葉県いすみ市)、その後10年ほど大多喜城(千葉県大多喜町)にいた後、関ヶ原の戦いの褒美として伊勢桑名(三重県桑名市)へ転封し、井伊直政と共に荒くれ者の豊臣譜代大名を前線でコントロールした功績などから、5割増の15万石となりました。

家康は「お前には散々働いてもらったから、褒美も奮発しないとな!」と言ったくせに、わずか5万石……。

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ところが忠勝は、その加増分すら頑固にも固辞するのです。

何度、強固に勧めても忠勝が断るので、辛抱強い家康もとうとう折れました。

「なら、お前とは別に次男の忠朝へ褒美をやろう。あいつもよく働いてくれたし、それでいいだろ」

さすがにそこまで言われては忠勝も断りきれず、忠朝は父が治めていた大喜多で5万石をもらうことになりました。

 

正信のような人材が必要とされる

では忠勝は、伊勢に移った後、どんな風に過ごしていたのでしょうか。

実はこれといった逸話は伝わっていません。

関ヶ原の戦いと大坂の陣の間ですから、世は少しずつ太平へと向かう時代。

一説には、同じ名字の本多正信が重用されるのをうらやましく思っていた――なんてことも言われています。

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正信は謀略や交渉に長けた文官タイプで、忠勝とは何もかも真逆の人です。

戦がなくなりつつある世の中では、自分よりも正信のような人材が必要とされる――今まで忠義を尽くしてきた忠勝としては、理解していても切なかったことでしょう。

慶長14年(1609年)に忠勝は隠居して、桑名の領地を嫡男の忠政へ譲りました。

正確な日時は不明ですが、隠居した頃のエピソードとして次のようなものが伝わっています。

忠勝は若い頃から、木彫りを趣味としていました。

刃物の扱いは得意だったでしょうし、特にお金もかかりませんから武士らしい趣味ですよね。

ところがある日、いつものように自分の名前を彫っていたときのこと。

ふと手を滑らせて、忠勝は自分の手を切ってしまいました。

戦場で一度も負傷したことのなかった忠勝が、です。

そして忠勝は隠居の翌年・慶長十五年(1610年)、10月18日に63歳で亡くなりました。

意外なことに、大坂冬の陣よりも前のことです。

忠朝が夏の陣で戦死していますので、子供に先立たれるよりは良かったかもしれませんね。

次のような遺書や辞世を残しています。

 

なれるか大河ドラマの主役に

遺書の一節

侍は首を取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討ち死にを遂げ、忠節を守るを指して侍という

辞世の句

死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば

この二つからも、忠勝は老いさらばえて死ぬよりも、戦場で死ぬことを望んでいたように思えます。

忠勝は徹頭徹尾、武士として生きた人でした。

そんな忠勝親子が続けて治めることになった千葉県大喜多町では、NHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」誘致実行委員会が設置されています。

◆NHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」誘致活動→大多喜町

忠勝親子がお好きな方は、寄付などで協力してみてはいかがでしょうか?

本多忠勝大河ドラマ化を誘致する看板

本多忠勝・忠朝親子の大河ドラマを誘致する看板

個人的には、徳川四天王を中心にして家康の一生や天下取りを家臣の視点から見てみる……なんてのも面白そうだなと思います。

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【参考】
国史大辞典
『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
大多喜町(→link
『本多平八郎忠勝―家康軍団最強の武将 (PHP文庫)』(→amazon

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